松永和也

私立中学・高校国語科教諭。三省堂教科書編集委員。テーマ:近現代文学/学習理論/探究/A…

松永和也

私立中学・高校国語科教諭。三省堂教科書編集委員。テーマ:近現代文学/学習理論/探究/AL型授業/パフォーマンス評価/学び合い/ICT/ワークショップデザイン/活動例: https://www.kyobun.co.jp/education-practice/p20170807/

最近の記事

読書覚書『親に知ってもらいたい 国語の新常識』

井上志音 加藤紀子『親に知ってもらいたい 国語の新常識』時事通信社2024 これまで自分が取り組んできた/経験してきた「国語」の授業や、大切にしてきた考え方/イメージをふり返るきっかけとなる本です。 私自身の背中を押してくれる内容であり、国語教員の方なら第3章国語のお悩みQ&Aは「自分ならどう答えだろう??」と考えながら、読み進めると頭の体操になると思います。 一般書として親や学生も楽しめつつ、教育関係者にとっても充分刺激的であるという奇跡的なバランスで書かれています。

    • 医学生は美術館でなにをみたのか?

      獨協医科大学では医学教育の一環として美術の対話型鑑賞を取り入れていらっしゃいます。 医学を学ぶのにアート鑑賞??? という疑問が浮かぶかもしれません。 患者さんを前にして、発言や表情や周辺情報をもとに診断する観察力と、作品に描かれているもの•ことから鑑賞を深める力は親和性が高く、海外ではアートの教育活用が広く行われており、その歴史は長いです。一方で、国内ではまだまだ事例が少ないようです。 そんな状況で先進的に取り組んでおられる森永康平さんに同行して、宇都宮美術館&栃木県立美術

      • みえているようで、みえていないかもよ 対話型鑑賞が教員の観察力涵養にもたらす可能性

        方法論だけ、の限界 あるクラスでうまくいったワークが、別のクラスでは機能しなかった。そんな経験はありませんか? 同じ学齢、同様の学力層の学習者に対して過去に「成功」した活動が、どこから歯車が合わなくなったのか、目の前の学習者の興味が一向に学習対象に向かっていかない。そんな経験。 教育者のみなさんは、より豊かな学びの場づくりをしたい、より前のめりになって学ぶ学習者の姿が見たいという気持ちで、仕事についた後も自己研鑽に励まれる方が多いです。 例えば、学内外の研修に参加したり、書

        • 読書覚書『コンピュータのある教室』

          『コンピュータのある教室』1996年岩波書店 https://www.amazon.co.jp/dp/4000039474/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_5VV3SBB9GND436RYCPM0 90年代半ばからPCが家電になり、96年には学校のネットワーク環境整備を進める答申を当時の中央審議会が発表しています。 Windows95が発売されて社会全体がインターネットに熱狂し、あらゆる夢物語が描かれた時代だと記憶されている方も多いかと。 「教室にインターネット

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          個人の痛みと社会の痛みの間で

          相手の痛みを自分の痛みとして、社会の痛みを自分の痛みと考えて動くことが「市民」になるためには必要なのか。しかし、痛みを共有することは共倒れしてしまう危険も孕んでいる。教育、福祉、政治、経済。どこかでもうこれ以上は共有できないと感じたとき「人のせい」にすることで、あるいは問題を自分から切り離して考えることで健康を保つ処世術の必要も感じる。 そこで社会の痛みと自分の痛みを逆のベクトルで繋ぐのはどうだろうか。自分がいま感じている痛みは個人的なものでありながら、実は社会の痛みでもあ

          個人の痛みと社会の痛みの間で

          作品と再会するということ

          作品と再会するということ。 かつて読んだ小説をもう一度読むということ。 まだ読んだことない作品との新鮮な出会いへ期待を寄せる機会に比べると、同じ作品を繰り返し読み重ねる贅沢さを実際に味わう機会は多くないかもしれません。 中高で生徒と学ぶことが幸福にも仕事となった私は、およそ3年か6年に一度、定番教材に再会することになります。例えば、『走れメロス』『羅生門』『こころ』。その都度、作品たちは新しい顔を見せてくれます。正確には、生徒たちが思いもよらない細部への疑問や違和感を投げかけ

          作品と再会するということ

          教科書は必要なのか 検定教科書編集に携わって

          令和3年度から採択される中学検定教科書の見本が届きました。自分が編集に携わった教科書が形になる、感慨深いぜ、と見本を肴に飲めないお酒を飲み始めそうな勢いだった時、ふと疑問が湧いてきました。 「俺、教科書でちゃんと教育受けてたっけ?」 私は愛知県の中高一貫校出身なのですが、振り返ってみると、多くの先生がオリジナルの教材を準備して授業をされていました。確かに、オリジナル教材にこめられた先生の熱量は素朴に教科書を教えている授業より面白かったように記憶されています。自分自身が教員

          教科書は必要なのか 検定教科書編集に携わって

          教育現場におけるオンライン学習支援への「違和感」

          多くの教育機関で休校延長の判断が下されました。 3月中は春休み期間と重なることから、学習支援対策もそこまで切迫感がなかったようでしたが、新学期が始まり、各教育機関は本腰を据えた対応策を求められています。 私の勤務している中高一貫校も例外ではありません。 また、ネット上では教育関係者によるやりとりが盛んに行われています。 この機会に様々な対話が生まれ、私たちの役割について見直すきっかけになったことは素晴らしいことです。 ですが、この学習支援をめぐる動きについて「違和感」を覚

          教育現場におけるオンライン学習支援への「違和感」

          どの地域、どの学力層の子どもたちも等しく探究スキルを身につけるために

          12/22(日)第2回ESIBLAフォーラム「探究学習の最前線」@聖徳学園 で得た気づきをまとめていきます。 ①参加者のバラエティ 教育系のイベントの中では、比較的多様な職種の参加者が集まっていました。現場教員、教育系企業のみならず、人材、ケア、など。探究学習が広く注目されていることがわかります。また、企業人が口々に話されていたのが「企業内研修とほとんど同じだ」と言うことです。それは使用するフレームワークが「ほとんど同じ」であり、また、抱えている課題も「ほとんど同じ」という

          どの地域、どの学力層の子どもたちも等しく探究スキルを身につけるために

          「協働」という言葉のロマンチックさに酔わず、まっすぐ向き合ってみよう

          「協働」はロマンチックで、使い勝手の良い言葉です。 「協働」を大切にしよう、と言ったら何か重要なことを言っているようで、しかし「平和って大切だよね」くらい何も言っていないようなものです。当たり前すぎて、それでなんだい? となってしまいます。「協働」という言葉の持つ前向きなイメージだけで語るのではなく、その中身を具体的に掴んで、意味のある「協働」を取り組んでみませんか。 「協働」とは声をつなぎ対象を再定義することだと考えます。まず声をつなぐというプロセスの部分について説明し

          「協働」という言葉のロマンチックさに酔わず、まっすぐ向き合ってみよう

          【学生のあなたへ】なぜ勉強しないといけないのかわからない、から始めよう

          皆さんはなぜ勉強しないといけないのだろう、と疑問に思ったことはありませんか。それは大抵、勉強に前向きになれていない時に、むくむくと生まれてくる気持ちではないでしょうか。そんな気持ちに心を奪われそうな時、皆さんは自分はなんて弱いんだ、と嫌になってしまうかもしれません。しかし、私は全くそうは思いません。なぜなら、それは何のために勉強をしているのか自分の目的を考えるチャンスだからです。 今、目の前でやっている勉強が将来どんな場面で必要な知識なのか、実感ができない時になぜ「それ」

          【学生のあなたへ】なぜ勉強しないといけないのかわからない、から始めよう

          ♦️これまでの取り組み♦️

          学外に公開された活動についてまとめています。 (授業見学は含めません) 2024 京都芸術大学 通信教育「芸術学舎」WEB講座 対話型鑑賞ACOP(Art Communication Project)の現在「鑑賞編」(2024.1/28) 講師 学びほぐし読書サロンVOL.22「誤配/誤読」(2024.1/21) 主催 日経電子版 for Education特別授業・情報リテラシーを高めよう supported by Google(2024.1) 授業開発 コアネッ

          ♦️これまでの取り組み♦️