見出し画像

場所  〈灰〉と〈ポシェ〉を踏まえて

ポシェ(poché)。残余《Le reste》。
Voidではなく存在する空間。にもかかわらず無用の空間。
不可欠な空虚。有意義な無意味。
最も基礎的な意味へ立ち返れば、ポシェとは構造上不可欠な、何かで充満した(つまりアクセス不能な)ある種の非─空間を指すが、SANAAの提示する《虚のポシェ》の概念と21世紀美術館の実践は、ポシェに空間的広がりを与えたといえる。また、ある建物においては内外の間にある分画的役割を持った存在であるが、都市を一つの構造と考えた時に都市におけるポシェはある建造物の間の空間にまで拡張できる。そして、ポシェは利用空間としての意味づけを逃れた空間である。

灰(cendre)。残滓《Le reste》。
存在の痕跡である脱─存在。決してかつての存在を残しておらず、現前しえない。
何ものでもない、実質や意味を欠く空虚。何も送り返すことのない残余。
第三期デリダに従えば灰は上のように述べることができる。そこにあるにもかかわらず何らの意味からも解放された、存在と非存在の狭間である、resteでありrésidu。故人やエクリチュール、あるいはショアーを想起し、灰を意味づけるのはあくまで見る者の所業である。
ポシェを空間的残余とするなら灰は時間的残余として対照的位置にある。

 今期の〈灰〉と〈ポシェ〉というテーマを貫くのは、「無意味で虚ろな、ほかの意味が宿る空白」であり、「何らかの意味が残響する場」という性質である。どちらも内在的意味を持たず、しかし見るものが何某かの意味を与えずには居られないような、閾にある存在なのだ。これを念頭に置いて空間に目を向けるとき、私が探すべきものの輪郭が見えてくる。即ち、残り香の漂う、名付けをひとに委ねた、名付けのない空間が。
 ここに至ったとき私に思い浮かんだのは、慣れ親しんだ新宿の一角だった。
 玉川上水暗渠部。甲州街道から分岐し新宿西口まで続くかつての京王線軌道である。
 暗渠は本来、公害対策だけではなく狭小な都心において水域を土地利用に供するためのものであるため、表面からその存在は伺い知れないように思えるし、さらに様々に分節されもはや土地としての一体性を失っていることもある。しかし上空から眺めればその特異な土地区画や利用にどうしようもなく痕跡を残している。しかも暗渠の条件がもたらす土地利用は都市に独特の「余白」を提供するのだ。
 玉川上水下流部はそのほとんどが緑道や広場、道路に供されており、かつて鉄道用地であったこともあって独特な緩曲した土地区画がよく保存されているため、地図上で明瞭に過去の形跡を伝えている。また開放的な上部空間は地上の視点からでも明確な視覚効果を生んでいて、この空間の「残滓性」を形成している。
 また緑道や広場は特定の用途に供されていない「余白」、即ち広義のポシェを形成している。都市を一個の建物とみるとき、道路や緑道は平面的には居住空間である建物の外にある意味のない「余白」にすぎない。しかも暗渠部の表面は様々な利用者によって切断を経験している。しかし断片化された別々の空間が一つのドラマを共有することで、そこには本来のその物体にはない境界を抜け出た意味が付加され得るようになっている。またこの「余白」は我々過去を知る人間には別の意味を与えずにはいられない場所である。「余白」は雑踏の間に緩衝を挿入し、生産性という文脈から遊離した自由な場を市民に開き、新たな意味を彼らから与えられうる。都市という一個の構造の中にある、分節物であり、厚みのある、不可視の壁。この空気の壁にあのガラス・パビリオンを思い起こすことは難しくない。さらに三次元的な構成に目を向けてみよう。水路はそもそも狭義のポシェ性を持ちうる。都市において川や水路は上水道として必要不可欠でありながら土地として利用できない空間であった。現在地下空間の発達する新宿において、地下に潜行した水路は必要不可欠でありながら、地下の土地利用を分画・制限するアクセス不能な空間、まさに「地」を形成している。そういった意味でこの空間はポシェの「残余性」を保持している。
 ポシェ─英語化してしまったpoché─の本来の意味、pocheに立ち帰ろう。この暗渠は中高層建築が層をなす集密的な都市空間を分画し、そのスカイラインに唐突な空隙をもたらしているエア・ポケット(poche d’air)であり、まさしくpochéでありpocheなのだ。
 しかしこれらの残滓性を持ちつつも、暗渠はrésiduであって灰ではない。数々の橋桁跡が意味を保持し、地下で水路は生きている。デリダにあやかれば、そこには灰はない(il n’y a pas la cendre)、灰でないものがある。暗渠は都市の中で生きて変化する主体としての側面を持っている。
 暗渠。そこにあるのは表層の境界を逸脱する空間であり、共時的・通時的な意味の残響であり、未だ意味を返し続ける進行形である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?