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さよならリブロース焼肉弁当

オリジン弁当の「リブロース焼肉弁当」に恋をしていた。

これを目にする数少ない人の中に食した人はいるだろうか。

思い立って夕方、いつものように予約注文の電話を入れると「申し訳ございません。リブロース焼肉弁当は販売期間を終了いたしました」とのこと。

「そうですか。ではまたおかけいたします」

もう一度かけることはなかった。

「四つ足は美味い」とは尊敬するあの人の言葉。鶏も豚も魚も、肉なはんでも好きだが今日は牛に格別の愛を表明したい。

リブロース焼肉弁当に惚れた経緯を書こう。

俺はトレーニーだ。

トレーニー(トレーニングを愛好する人、特にウエイトトレーニングを行う人を指す場合が多い)の食事といえば「鶏」、それも「鶏ささみ」という世間の認識はマスメディアが広めたものでいくらかの誤解がある。

まず鶏を選ぶ理由は安価だから。これに尽きる。

タンパク質を充分な量摂るためにはコストがかかる。鶏肉は最良の選択の一つだ。ただしこの場合は「鶏むね肉」だという点を付け加えたい。

100グラムあたりの単価でいうと「鶏ささみ」は「鶏むね肉」より1.5倍ほど値が張る。トレーニーの多くはコストパフォーマンスを求め日々「鶏むね肉」を(もうたくさんだと思いつつ)頬張っている。

しかしコストをある程度無視するなら最適解は牛である。

(魚、それも青魚に含まれる良質な油も筋肥大、体脂肪減に高い効果を持つため牛と競るがここでは話をリブロース焼肉弁当にもっていきたい都合上伏せよう)

牛肉にはクレアチンという筋肥大に大きく貢献する成分が豊富に含まれているため云々かんぬん…難しい理由を知る必要はない。

「牛肉を食べるとなんだかパワーがでる。なにより四つ足は美味い」

シンプルイズベスト。これだけのことだ。

財布の薄いトレーニー(俺)はコストを抑えつつ手軽に美味しく牛を食べる最適解を探す旅に出た。

まずファストフード牛丼チェーンのビーフボール(牛丼)はどうだろうか?良心的な価格設定は魅力だがいかんせん牛バラ肉が主体とあって脂質が多い。また肝心のたんぱく質量がいささか足りない。

定食の大手チェーン、大戸屋で牛絡みのメニューを見てみると、「氷見牛とシャキシャキ玉ねぎのステーキ丼」(税込1600円)、「牛すき焼き定食」(税込1790円)、「ビフテキの炭火焼き定食」(税込1980円)といずれも御大臣に献上すべき一品となっている。

同じく定食チェーンのやよい軒はどうだろうか?「カットステーキ定食 和風ソース」(税込1000円)。こちらは学生の味方のやよい軒とあって非常にお手頃価格。しかし、どうも付け合わせの玉ねぎが辛い。辛すぎる。

では自分で安価な牛肉を買って調理するのが一番よいのではないか?

しかし買出し、調理、後片付けにかかる時間と手間を考えるとけしてこちらもコストパフォーマンスに優れるとは言えない。たとえば安価な牛肩ロースが200g300円、あなたの一時間あたりの賃金が1000円とすると準備と後片付けに1時間を割けばそのステーキの値段は「1300+くたびれ儲け」円だ。

そうだ。HottoMottoなるお弁当チェーンが近所にあったぞ。あそこはどうなんだ?

「牛すき重」(税込490円)、「カットステーキ重」(税込590円)。

正気か。安すぎるだろう。どこからきた値段設定なんだ。同じ世界線の話とは思えない。完全に独走態勢に入っている。ゴール前の直線に入ってもいない手前のカーブでジョッキーがもう手を掲げた。なんということだ。レースの途中だというのに投げ捨てられたハズレ馬券が舞っている。舞っています舞っています。季節外れの大吹雪です。

つい実況したくなるほど驚いたが、残念ながら俺には味があっさりし過ぎていた。たしかに安い。そしてマクロ(トレーニングに詳しくなればよく聞く言葉だが「栄養バランス」と訳して欲しい)も優秀。しかし舌だけは若い俺はもっと濃厚な味付けを欲しているのだ。

ではどうしたらいい?無いものねだりなのか?あるはずもない牛の影を追ってバランスを欠いた俺は死ぬのだろうか?

では答えを教えよう。最適解はオリジン弁当のリブロース焼肉弁当(税込1080円)だ。

めちゃくちゃ美味い。一口目、軽いショックを受けた。

味付けの趣味、方向性が他の選択肢と一線を画す。他を圧倒している。なぜか他と一緒に圧倒されていた。俺は。

付け合わせは潔くもやし一品のみ。リブロースの下に敷き詰められ肉汁を一身に受け止めたもやしは世界一美味い。ふだんこの手の付け合わせは箸休めとして味わう俺だがこればかりはリブロースで巻きながら食べてしまった。

肝心のリブロースだがこれはハラミに近い味わいだ。上等な肉とまでは言わないが適度な脂身と牛の持つワイルドな旨味、そして肉の柔らかさと香ばしさ。いくらでもご飯が進む逸品に仕上がっていた。

なによりこれはタレが美味いのだ。洒落たステーキソースではない。タレだ。「焼肉弁当」のネーミングに偽りなし。濃い目のそれでいてどこか上品な「お店の味」。

そうだ。これは「お店の味」なのだ。俺はずいぶん昔、これとよく似た焼肉弁当を食べたことがある。

子供の頃、我が家は比較的裕福だった。父の経営する会社は順調。東麻布に自宅を構え、家政婦さんが夕食を作っていた。遠い記憶では白金や青山の高級マンションに住んでいたこともある。このマンションはリビングからバスルームに向かう廊下が長いうえなぜかスロープになっており子供心に「なんで家の中にこんなに長い坂があるのだ。面倒くさい」と思っていた。

俺の誕生日ともなると従業員の大人たちが集まり(集められ)、だだっ広いリビングの上座に座った俺に順にプレゼントを献上する(させられる)なんていうシーン(地獄絵図)が上演された。おれはちょっとした(裸の)王子様だった。

しかし世の理はよく出来ているものでご安心めされすぐに天罰は下っている。

俺が小学校にあがるとまもなくバブルと共に父の会社がはじけ飛んだ。父は大人の手によって彼方に連れ去られ、幼い俺と母もほうほうの体で西葛西のアパートへようやく落ち延びたのだ。

生活は一変した。

学校が終わって帰ると家は真っ暗だ。友達もいない。お腹が空いたらジュースで我慢だ。あんなにあったおもちゃがない。母は仕事で帰りが遅い。時計ばかり見て過ごした。

贅沢な話だが「好きなものを好きに食べることができない」という経験も初めてした。毎晩のように食べていた牛肉が食卓に並ぶことはなくなった。

一変した世界で、

母は俺に執着していた。俺も母に執着していた。この世にはお互いしかいないと手を握り合い、一心同体と信じて疑わなかった。そんな馬鹿な親がどこにいると思うだろうが母の生きがいは俺を甘やかすことだった。

俺はともかく母は辛かったろうと思う。俺を甘やかそうにも時間も金もないのだ。

四半世紀も前の話だから記憶は曖昧を極めるが、西葛西の駅前にはトンネルのような商店街があった。けして広いとは言えない通路に地元に密着した小さなスケールの飲食店が軒を連ねていたと思う。

調べてみると「西葛西メトロセンター」とある。おそらくこれに違いないだろう。

ここに名前も覚えていないが小さな焼肉店があった。店内での食事がメインだが、入り口の横にタバコ屋よろしく窓とカウンターがあり持ち帰りを希望する客はここから弁当を注文出来た。値段はたしか並弁当で1500円ほどだったと思う。

本当に数か月に一度、帰りがとても遅くなった日にだけ、母がこの店で「カルビ弁当」を買って帰ってきた。それがあの時の母の精一杯だったのだろう。

当時、携帯電話なんて便利なものはない時代だ。時計が22時を回っても母が帰宅しないと俺はいつも半狂乱だった。

母の身になにかあったのではないだろうか?事故にあってはいないだろうか?倒れていないだろうか?駅まで迎えにいこうか?いまにも電話が鳴りそうだ。それは母の死を告げる電話かもしれない。そうしたら俺は、ちゃんとあとを追って死ねるだろうか?母とはどこで合流できるだろうか?

玄関の鍵を開ける音が聞こえると飛び上がって迎えに出ていった。

うす暗いアパートの部屋で二人で食べる半分冷めたカルビ弁当が俺と母の最高の贅沢だった。

リブロース焼肉弁当はお店の味だ。あのお店の味がする。









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