本当個人的な解釈

BOYS DOLL HOUSE〜はい!よろこんで!〜を先日観劇して本当に個人的に思った事が、

人形=役者

役者のなんとやらも舞台のなんとやらも全くわからない自分が、こういうことを言うのも本当おかしな話だけど、素直に観劇して思ったのがこれ

ご主人様を喜ばすためになんでもする人形
これは、ご主人様を演出家又は観客ともとらえられるし
喜ばす、役者の方も演技で、観客を喜ばしているのでは?って思った
観客の前にまず演出家、そしてそれをくぐり抜けて出来上がった物が、観客に届く。
演出家は、人形師といってもいいかもしれない

最終この子がいいと思うのは、観客なのだから観客が主人という方が近いかもしれない

その時きたチャンスを掴まないものに勝利はない

みたいなセリフも
生きてる上でそうだろうけど、演劇をやってる人は特にそうなんじゃないんだろうかっと思う。

舞台に立つまで沢山の茨の道を進んで、勝ち残った人だけが舞台の上にたち観客を喜ばせ、そしてそれからもまだチャンスを探して掴み取る。
喜ばす事ができてもチャンスが掴めなかったら、また茨の道
でも、チャンスを掴んで勝つ事ができたらどんどん上に上がっていく。
それは、1公演1公演が常に戦い
老若男女、十人十色ほんと色んな方が足を運ぶ劇場で、いかにそこにきた人たちに向かって自分をアピールできるか
しかも、役をまとったまま。
いかに人の脳裏に自分を役を焼き付けるのか

それができないといつまででも売れ残り、時が立ち忘れられいなくなる。

いい物が作り出せても、結局は覚えてもらえないと買ってもらえないと生きていけない世界

そんな世界が今回のこの舞台で感じられて
こういう風に思った。

きっと伝えたい事がそうなんじゃないんだろうけど、あたしは本当にこう感じたしそれを大切にしたいとも思った。

あと、愛についてもLOVEでもLIKEでも色んな形があり。
それが、性別を超えて親子を超えて今の時代の自由を尊重した愛。
男が女を女が男を好きになるとはもう違う、人を愛する
それが生物学上男でも女でも関係ない。好きになったのだから好き。この表現もとても好きで、アオイがケンを好きなのは家族として、人として、友として、恋愛として、いろんな考え方ができて苦手な人がいるかもやけど、美しさを感じた。

拓郎の愛も本来は人に向かうべきなのかもしれないが、人形に向かっていてそれを受け止めて慕うカナタも美しくて、そして何より今の時代本当大切にしないといけないなぁと思ったのが、聖奈の『素敵な方ですね』と受け止める寛大な心
この世界線では、普通な事かもしれないが、2人の関係を見て気持ち悪いと見下すのではなく、受け止めて受け入れて否定しない心に本当すごいと思った。

自由に解釈っていう事に甘えて私の都合のいいように解釈してしまってるけど、作品とは本来は色んな考え方があっていいのだからこれが間違いだろが正解だろうが、関係なくて本当何を受け取って感じたかが大切だと改めて思った

本当いい作品に出会えて嬉しいという解釈でした

おしまい。

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