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【P-007】昭和のプロレス・どう考えてもおかしい試合結果選手権(1)

「終わり良ければ総て良し」という言葉があります。文字通り、途中がグダグダでも、最後丸くおさまればOKということです。これ、プロレスにも当然当てはまりますが、悲しいかな、その「逆」が多いのがプロレスだったりします。昭和の末期には、モヤモヤ、イライラする試合が多くありました。私は、ひねくれたプロレス少年だったので、メンツを見ただけで「これは両リン(両者リングアウト)だな…」とか言っていました。まぁ、ほとんど当たっていましたが(笑)

さて、暴動騒ぎになるほど後味の悪い試合は、アントニオ猪木率いる新日本プロレスで数々の伝説がありますが、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスも負けてはいませんでした。

「どう考えてもおかしい試合結果選手権」があったら、一番に推したい試合が、昭和53年2月18日、蔵前国技館で行われたジャイアント馬場対ラッシャー木村のシングルマッチです。

当時は、新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスの3団体がしのぎを削っていた時代で、ちょうど全日と国際が交流戦を行っていた時期で、その中で組まれた一戦です。

レフェリーは、元日本プロレス社長の芳の里淳三氏。どうも、このおっさんが胡散臭く、ちびっ子でもわかるプロレスのルールを無視して、試合を進めたのです。

先にネタをばらすと、ジャイアント馬場の足四の字固めに捕まった木村が、何とかロープにたどり着いたものの、一向にブレイクがかからない。明らかに‘ロープブレイク’なのに。

もがき苦しむ木村は、上半身がエプロンサイドに宙吊りになってしまう。実況も解説も、これには一切突っ込まずに、「木村苦しいですねぇ」とやっている。いやいや、ロープブレイクでしょ!!ブ・レ・イ・ク!

日本テレビの中継は、気持ち悪いほどの全日贔屓なので、馬場へのヨイショが、とにかく耳障り。これは90年代以降もそのままだったので全くブレていません。その点は素晴らしいかもしれません。

四の字固めが続き木村が宙吊りの中、レフェリーが突然カウントを取り始める。一瞬、「やっとロープブレイクになるんだ、馬場に対して反則のカウントをとっているんだ。ラッシャー木村良かったね!」と思ったのも束の間、何とゴングが鳴った…。

え~?どうなったの??

ゴングが鳴ったとたん、全日のセコンドが、馬場の足をほどきにかかる。立ち上がった馬場に近寄る芳の里レフェリー。すると何と馬場の手を上げたのだ。馬場が勝ったの??どうして???

まぁ、とにかく試合は終わった。

中継のカメラは、馬場に飛んできた座布団をとらえていた。
そりゃ、飛ぶよね、座布団。蔵前国技館だし。
そして、マイクは「馬場、金返せ!」という子供の声らしきヤジも拾っていた。何度も聞こえていた。そりゃ、叫びたくなるよね。

Youtubeで映像見られるので、気になる方は↓↓どうぞ。

プロレスは、やはり大歓声、大興奮で終わりたいものです。


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