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【I-043】百貨店にかつてのプライドはないと思った日

外出ついでに家内に頼まれ、新宿の某百貨店で買い物をしました。
それは、国内の大手化粧品メーカーの乳液で、1つ1万円という代物。それを2つ頼まれました。ちょうどこの百貨店の友の会で積み立てをしていたので、その分で買うことにしました。

もはや時代なのでしょうか、百貨店といっても、この商品を取り扱っているのは、自前の売場ではなく、テナントのドラッグストアでした。ただし、客にはその辺の事情は関係なく、あくまで「この百貨店で購入した」ということになると思います。自分もその感覚でいました。その証拠に友の会のカードで支払うことが出来ました。

モヤモヤ感

売場は2階にあり、ここは女性の商品が多いフロア。おじさんがウロウロするには居心地が悪く、長居は無用です。レジにいた若い男性スタッフに商品名を告げました。すぐにレジ後ろの戸棚から目当ての商品を取り出し、「こちらでよろしいでしょうか?」と一言。確認するとすぐに会計となりました。友の会のカードで支払う旨を伝えると、「かしこまりました。袋はどうされますか?」と返ってきました…。

袋はどうされますか??

2万円オーバーの買い物をしました。それでも袋に入れてくれないの??百貨店で買い物しているんだよねオレ。友の会にも入っているんだよねオレ。世の中的にはマイバック推奨になり、袋はいつの間にか有料、ということになっています。そんな空気に押されてしまいました。肩からトートバックをかけていたこともあり、つい「このままでいいです」と言ってしまったのです…。トートバッグ的には余裕たっぷりなので、近所での買い物なら何ら疑問のない対応です。しかし、ここは曲がりなりにも百貨店です。この売場から数歩歩いたとたん、このモヤモヤがドンドン大きくなっていきました。

エスカレーターで1階に降ると案内係のお姉さんのいるカウンターが目に入りました。「百貨店のためだ!」という自分の正義感からお姉さんに声をかけました。「今、買い物をしたのですが、ちょっとがっかりしたことがあったので、どなたか聞いていただける方、いらっしゃいますか?」お姉さんは、ここでも聞けるが、8階にお客様相談室があるということも案内してくれました。私は、すぐに8階に行くと告げて、その場を去りました…。

プライドの塊だったはずのかつての百貨店

私は、1993年4月にメーカーに就職しました。バブル崩壊直後で景気が悪くなったと言われてはいたものの、それまでが良すぎたこともあり、まだまだ余力というか余韻が残っていました。入社する前の1992年のクリスマス商戦に研修の一環として、内定者は小売店に販売応援に行かされました。私は吉祥寺の百貨店に行きました。まだまだ小売りの花形であった百貨店に派遣されるのは当然の流れでした。

当時の百貨店は、販売応援する際に事前に研修を受けさせられました。例え1日だけの対応でも必須でした。どこの百貨店でも同様なことが行われており、その際に言われたことも共通してしました。

それが「お客様にとっては、あなた方も当百貨店の店員です」です。

言われてみればそうかも知れませんが、聞いた瞬間に無理があるなぁ、と感じたことを思い出します。大学生でもそう感じたのです。この感覚は多くの対応者が思っていたことでしょう。現在、カメラ量販店などのスタッフを良く見てください。あえて「品出し」とか、客からもわかるように腕章やプレートを‘わざわざ’下げています。これは、実は客にとっても良いことで、店員だと思ったから声かけたのに、確認に行かれてしまうと余計に時間がかかって、逆にイライラしてしまうのです。わからないなら、最初からわからないと言ってもらった方が、客もスッキリするのです。かつてはここを理解せずに「お客様にとっては、あなた方も当百貨店の店員です」とやっていたのです。

さて、百貨店の売場に立つとわかりますが、客は色々なことを聞いてきます。そのフロアのトイレの場所くらいはすぐに覚えられますが、○○売場はどこだ、××はどこに置いてある等々、大きな百貨店の隅から隅まで、とても初めて行く店舗では対応しきれません。「外商の○×を呼べ!」といきなり、横柄なおじさんにどつかれたこともありました(笑)すぐに店員に告げると、担当と思われる方がやってきてペコペコしていました。余程の上顧客だったのでしょう。

話しは入社前の販売応援に戻ります。今でも覚えていますが、客から質問され、わからないので店員に聞きに行くと、舌打ちされ、面倒くさそうに対応されました。それが1日に何度か続くと、次第に無視されるようになり(苦笑)、こちらもムッとしながら「お客様がお待ちなので!」と言うと渋々対応してくれました。店員からすれば、何もわからないド素人を派遣するなんて、迷惑なだけ!何てメーカーなの!!くらいに思っていたのでしょう。逆の立場であれば、この感じも理解出来ます。時間をかけて、こういったことが改善され、現在の小売りの現場に活かされていると感じます。

1993年4月にメーカーに入社した私は、6月に仙台の営業所に配属されました。すぐに仙台市内の老舗百貨店の担当となりました。この頃はすでに百貨店の販売力は落ちており、商売相手としての魅力はないものの、コミュニケーションは取っておかないといけないので、新入社員がその役目を負っていました。お客は郊外の量販店にドンドン流れていました。90年代半ばは、ダイエーとイオンが競って、東北のあちこちに大型モールを出店しまくっていた時代。比例して、東北各地の地元の百貨店はジリ貧になっていきました。

仙台の百貨店も例外ではありませんでしたが、この頃はかつての地域一番店のプライドそのままに営業していました。バブルはすでにはじけていたわけですが、売場のマネージャーは、度々長期休暇を取っては海外旅行に行き、それを我々取引先に自慢していた、そんな時代でした。当時の百貨店の社員はまだまだ年収が高くて有名でしたが、この後ドンドン下り坂になっていきました。

今回の「2万円も買ったのに袋に入れてくれない」事案は、かつての百貨店を知る人間としては、本当にがっかりで、我々の上の世代ならブチ切れていることでしょう。それほど、百貨店は別格な小売店と思っていました。

私が言いたいことは、「お客様にとっては、あなた方も当百貨店の店員です」と同じことをテナントにも徹底して欲しいということです。それは百貨店のサービスを徹底することであり、百貨店のプライドはどこにいった??ということなのです。私のモヤモヤはまさにココです。

さてさて、百貨店8階のお客様相談室に入ると奥から係の人が出てきました。「お客様なんちゃらコンサルタント」というプレートをつけた小柄な女性でした。私より少し年上の印象です。

「今、買い物をしたのですが、ちょっとがっかりしたので、お知らせに来ました」と伝えました。今回購入した商品のメーカーのホームページ見ると、新宿で同じものを買える店舗は他にも多数あることがわかります。私は、友の会の積み立てをしていることもあり、ここの看板をくぐって購入したと伝えました。1人の客として、この店のファンであり、信頼して買い物をしたということを伝えたかったのです。それに対して係の方は、特にテンションが上がる感じもなく「それはありがとうございます。」と言うだけでした。

百貨店よ、かつてのプライドはどこにいった?客が何故百貨店で買い物をするのか、思い出せ!という気持ちを伝えたつもりだったのですが、この方には全く響かなかったようです。恐らく百貨店の社員ではないのでしょう。長く百貨店で働いていた方であれば、この気持ちは伝わったと思います。そして、「袋の件はメーカーに共有します」と他人に振った時点で「終わったなぁ」と感じました。別に袋が欲しいわけではないのです。百貨店の誇りを取り戻して欲しい、百貨店のサービス、対応をして欲しいと思って言ったのでしたが、全て徒労に終わりました。

百貨店でのがっかり事案では、こんなこともありました。2002~03年くらいだったでしょうか。日本橋の百貨店で取引先への手土産を買い、電車に乗ろうとしたところ、定期入れがないことに気がつきました。いつも胸のポケットに入れていたのですが、上着のポケットにもなく、どこかで落としたのだと思いました。ひょっとして百貨店で落としたのかも知れないと思い、戻って問い合わせをしました。すると落とし物として届いているとのこと。すぐに指定されたところに取りに行きました。そこの係の人は、何度も「わたくしどものお客様が届けて下さいました」と言い、それがとても気に障ったことを覚えています。それを聞いて、私はおたくの客じゃないのか、と思いました(笑)

さらに、届けてくれた方にお礼を伝えたいと言うと、当然ですと言わんばかりに、「○○円程度の御品物を贈るのが礼儀ではないでしょうか」と言い、それらは、地下の売場のお菓子などが適当だと思う、とまで指図してきたのです。これにはとてもがっかりしました。

言われなくてもそうしたわい!

落とした定期が、すぐに見つかったところまでは良かったのですが、その後がとてもモヤモヤしました。百貨店が迷走していた時期だったのでしょうか。

百貨店は、どこも立地が良いので、これからもどんどんショッピングモール化していくことでしょう。しかし、銀座の松坂屋がそうしたものの、パッとしません。テナントの入れ替わりも激しいようです。様々な要因があるのでしょうが、根本的にお客が求めているものと違うからなのでしょう。他の百貨店は同じようなことにはならないで欲しいと思います。昭和の中頃までは、百貨店はおめかしして出かける特別なお店でした。屋上に遊園地があり、おもちゃ売場がめちゃくちゃ広くて、子供にとっては夢のようなお店。50代半ばの私には、ギリギリ記憶として残っています。もちろん時代が違うので、現在には当てはまらないでしょう。

ただ、お客が何を求めているのか、そこからズレていては百貨店という言葉自体も消えてしまうことでしょう。(百貨店という業態はすでに無いと思っています)頑張れ!!百貨店!!


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