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LITALICOに取材をしていただきました。

神奈川県は、以前から特別支援教育と呼ばず、「支援教育」として、今でいうインクルーシブ教育、全ての子どもたちを対象として支援をしていこうという考え方を持って教育に取り組んで来ました。

昔から支援教育の理念を理解している人にとっては、インクルーシブ教育という概念や言葉もなんで今更。。。感もあります。
とはいえ、この国の教育では、本当の意味でのインクルーシブも実態としてなかったのも事実であろうと思います。
県立高校で最初に四肢に障害のある生徒がクラスにいた時には、クラスメイトは、修学旅行で、平泉に行った時も当たり前のように順番におんぶして坂を登り、参詣しました。
聴覚に課題があった生徒がクラスにいた時にも、そのコミュニケーションは、生徒たちが筆談であったり、ゆっくり大きく口を示す事でごく普通に生活していました。
本当の課題にぶちあたるのは、進路選択においてでした。
つまり、学校内では、課題は内部的に解決させてしまいますが、社会が目の前に来ると大きな飛び越せないハードルが彼等の眼前に突如現れます。その上、社会は改善をしません。されていかないのが実態でした。
今は特別支援学校とネーミングが変わりましたが、私が赴任したころは、養護学校という名前の学校の高等部でも学校内では、何も問題がない生活が、やはり、進路選択では、障害に応じてハードルはありました。
現場実習という企業に生徒が慣れるための実習に教員も付き添い、同じ仕事をすることがあります。
生徒は、同じ作業を一日中繰り返しても飽きる事なくがんばります。
因みに私は。。。すぐに飽きてしまいます。
特性ということでしょうが、そこをデメリットではなく、メリットとしてゆっくりみていくことで、生徒個人がどのように社会で生きていくのかもわかりはじめてくることがあります。

通信制単独校や夜間定時制に通ってくる生徒たちの本当に様々な言葉にできないほどの苦労をしている実態も支援していくべきものです。

進学校は、そこで教鞭を取ったことのある教員しかわからない生徒実態があります。

教員の仕事は、とても面白いものです。毎日に凸凹はありますけど、長い1年という四季を通して、子どもたちが勝手に成長していくことが、見れます。
意図的に箱に押し込める教育をのぞまなければ。。。ですが。

今は、私は、子どもたちや現場の教員を制度として何をすれば、支援になるのか、ロジックだけでは、解決しない教育を形にしていくことを仕事にしています。
今回のLITALICOさんだけではなく、さまざまな民間の専門性のある人たちともっともっと繋がって少しずつ社会のハードルを下げることが、仕事なんだと思ってもう少しエンジンを点火させていこうかな。。。と思っております。
いろいろ教えてください。

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