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かぶきDOU其の19アフタートーク

皆様今回もコミてんラジオ、かぶきDOUをお聴きいただきありがとうございました。
前回に引き続き、重要無形文化財保持者 人間国宝に制定されることが発表されました5代目中村歌六さん特集としてお届け致しました。



中村歌六 播磨屋 家の芸


前回は歌六さんのルーツやプライベートについて詳しくお伝えしましたが今回は「中村歌六 播磨屋 家の芸」と題してビギナーの方にもわかりやすくお届けできればと思います。
播磨屋の芸といえば「せりふ回し」と言われております。
特に時代物の大きな役を勤めるにあたり、声の抑揚、間のとり方、強弱のつけ方、これらが全て備わって初めて時代物の人物らしいお役になるそうです。
その礎は3代目中村歌六と9代目市川團十郎にあります。
小学館 中村吉右衛門の芸によりますと…
上方育ちの3代目中村歌六は無類の芝居好きで、時代物の演技に必須の義太夫狂言を息子に身に付けさせました。芝居に詳しい母は市村座の芝居茶屋出身で、9代目市川團十郎の芸を吸収するよう勧めました。9代目團十郎は明治時代の名優で近代的センスに溢れ、史実に重きを置くこと、心理描写を追求した名優です。

前回もお伝えしましたが3代目歌六の息子はそれぞれ
初代中村吉右衛門(播磨屋)
3代目中村時蔵(萬屋)
17代目中村勘三郎(中村屋)  を襲名し名優揃いとなりました。

とはいえ、当代の中村歌六さんと2代目吉右衛門さんとの結びつきについてよくわからない方もいらっしゃるかと思いますので改めてご説明致します。
2代目吉右衛門さんのお母様は初代吉右衛門の一人娘でした。
高麗屋に嫁ぎ産まれたのが当代の松本白鸚さんと2代目吉右衛門さんです。
そして歌六さんの祖父は3代目中村時蔵です。
つまり歌六さんと吉右衛門さんのお祖父様が兄弟同士なのです。
播磨屋のつながりは大変深いものを感じますね!



秀山祭(しゅうざんさい)とは


来月の歌舞伎座は秀山祭九月大歌舞伎二世中村吉右衛門三回忌追善となっております。
秀山祭とは初代中村吉右衛門の功績を讃え、その芸を継承することを目的に、2006年平成18年の初代生誕120年を記念して始まったものです。
歌舞伎公式総合サイト歌舞伎美人によりますと…
人間国宝制定への会見で歌六さんは「吉右衛門のお兄さんと勤めさせていただいた『伊賀越道中双六』の『沼津』は、お客様の反応もダイレクトで楽しい、本当によくできたお芝居で、三代目歌六と初代吉右衛門のおじ様がなさってきたものを当代の吉右衛門のお兄さんと演じられるうれしさもありました。」と話されています。

この伊賀越道中双六近松半二、近松加作(かさく)の合作で1783年天明3年大坂竹本座で人形浄瑠璃として初演されました。
現在の三重県に位置する伊賀上野で剣豪の荒木又右衛門が仇の河合又五郎を討った「伊賀越の仇討ち」が元になっていて「曽我兄弟」「赤穂浪士」と並び3大仇討ちの一つと呼ばれています。
この沼津の段は本筋とは異なりますが、武士の仇討ちに巻き込まれた庶民の悲しいお話がテーマとなっています。
登場人物、呉服屋十兵衛の役を初代吉右衛門は得意としていました。
令和元年秀山祭筋書によりますと…
三代目歌六は雲助の平作 (へいさく)役が得意で、晩年は名物のようになっていたということです。雲助(くもすけ)とは街道の宿場や船着場での荷物持ちのことで大半が貧しい者でした。
3代目中村歌六 百回忌追善狂言として開催された令和元年の秀山祭では
当代の中村歌六さんが平作を、2代目中村吉右衛門さんが十兵衛と、
それぞれ先々代、先代の当たり役を勤められ大変話題になりました。



かぶきDOU解説〜伊賀越道中双六 沼津〜

それでは伊賀越道中双六 沼津のお話を2019年令和元年秀山祭の配役と併せましてかぶきDOU解説いたします。

第一場(ば)沼津 棒鼻の場


十兵衛(中村吉右衛門)はわずか2歳で養子に出され苦労をしましたが現在は呉服屋として成功し、お得意先の武家方からも厚い信頼を得ています。
その縁から、上杉家の剣術指南役の和田行家(ゆきえ)を討って逃亡中の沢井股五郎を手助けするよう依頼されます。
今の愛知県豊橋市のあたり三河国吉田(みかわのくに よしだ)まで逃げた股五郎を追って十兵衛は沼津の宿のはずれ、棒鼻(ぼうはな)という場所にさしかかったところです。
用事を思い出した十兵衛が、荷物持ちの安兵衛(中村又五郎)に使いを頼みます。茶屋の娘おくる(中村米吉)にもてなされ安兵衛を待つ間に年寄りの雲助平作(中村歌六)と出会います。
年老いて貧しい身なりの平作に声をかけられ、同情した十兵衛は仕事を依頼します。70歳を超えた老体で大きな荷物をよろけながら危なっかしく運ぶシーンは笑いが生まれる場面です。さらに花道や客席を通って歩く二人のやりとりが大変微笑ましいです。
平作は木の根っこに取られて足の爪を剥がしてしまいます。十兵衛は沢井家から賜った印籠から薬を差し出し、平作の代わりに荷物を持ってやります。
そこへ母の命日のお墓参りから帰る途中の平作の娘 お米(中村雀右衛門)と出逢います。実はお米はかつて吉原の傾城でありました。十兵衛はお米の美しさにひとめぼれして平作のあばら屋に招かれることになります。

第二場    平作住居の場 


大変わびしい平作の住まいですが、お米がそばにいるため十兵衛はご機嫌です。足の怪我がすっかりよくなった平作に、薬はどこのものかと聞かれ十兵衛は「とある武家方の秘薬」と言葉を濁します。
用事を済ませた荷物持ちの安兵衛が、荷物につけた編笠を目印に平作のあばら屋にやってきて「はやく出発しましょう」と促します。実は潔癖症な十兵衛でしたが、すっかりお米に魅了され、そのまま平作のあばら屋に泊まることになりました。ついにはお米をお嫁さんにしたいと十兵衛は頼みますが、夫のいる身と丁重にお断りする平作です。

十兵衛が寝静まった頃、お米は手傷を負った夫の傷を治すために、薬の入った印籠を盗もうとします。それに気づいた十兵衛が取り押さえ、平作はお米を叱りつけます。お米は詳しくは語りませんが話の筋から何かを察した十兵衛が「お前は吉原の傾城瀬川であるか」と尋ねます。なぜ分かったのかと驚くお米です。
そして手傷を負ったお米の夫が和田行家の息子の志津馬(しずま)であると十兵衛は気付くのです。
さらに、謝罪する平作の話から実は養子に出した息子もいて呉服屋をやっていると聞かされます。お守りの中身など具体的な話から、それが自分であると分かり大変驚く十兵衛ですが、敵対する身である故、父や妹に正体を明かすことも出来ません。
十兵衛は「自分に大変恩義のある方のために、石塔をあつらえて欲しい」と費用と書付(かきつけ)を平作に託し、夜が明ける前でしたが提灯を借りて平作の家を後にしました。
十兵衛を見送った後、平作は石塔料が30両も入っていたことに驚き、添えられた書付を読んで全てを理解します。
さらに十兵衛は薬の入った印籠も平作の家に残していきました。それが仇の沢井家のものであると気付いたお米は、夫の仇の所在を聞き出そうと十兵衛を追いかけようとしますが平作がそれを制止し、代わりに駆け出します。
間もなく夫 志津馬側の家臣孫八(まごはち)(中村錦之助)がやってきて、お米とともに平作のあとを追っていきます。

第三場 千本松原の場


十兵衛が富士山を望む沼津の千本松原まで来たところで、平作が追いつきます。
それに気付いた十兵衛は提灯の火を消してしまいます。闇夜の中で平作は「石塔料を返す代わりに、印籠の持ち主がどこにいるか教えて欲しい」と懇願しますが、十兵衛も義理のためそれは教えられないとします。暗闇の中で平作は突然、十兵衛の脇差を取って自らの腹に突き刺してしまいます。
自分の命に換えてでも、股五郎の潜伏先を教えてほしいと懇願する平作に心打たれた十兵衛は、股五郎の逃亡先が九州の相良であると、側に潜んでいるお米にも聞こえるように明かします。
十兵衛の腕の中で平作と涙ながらの親子の名乗り。そして今日は奇しくも母親の命日でもあります。お米とも手を取りあい兄妹の再会も叶え、平作は息を引き取るのでした。敵対することになってしまった親子の、再会の喜びすら公にできない深い悲しみが闇夜に広がって伊賀越道中双六 沼津は幕となります。

なお令和元年秀山祭のこの演目では中村又五郎さんのお孫さん小川綜真(そうま)さん 当時3歳が村人倅役で、綜真さんの父 中村歌昇さんと叔父の中村種之助さんに伴われての初お目見えもあり大変おめでたい舞台となりました。

いかがだったでしょうか?第一場ではコントのように楽しませてもらえるのですが、後半の急展開のストーリーに最後はとても切なくて涙が溢れる名作であります。かぶきDOU解説今回は伊賀越道中双六 沼津をお届け致しました。


縁の一曲 12代目市川團十郎さん


歌舞伎役者さんにゆかりの曲をご紹介する、えにしの一曲のコーナーです。
今回は12代目市川團十郎さんでした。播磨屋は9代目團十郎の芸も礎になっているとお伝えしましたが12代目團十郎さんのお誕生日が8月6日、ONAIRの2日前ということでこれもご縁と選ばせて頂きました。
12代目市川團十郎は当代のお父様で1946年昭和21年の8月6日生まれです。
襲名を追いかけたドキュメンタリー1985年昭和60年放送の「NHK特集 大看板團十郎への道」が最近では13代目襲名にあたり再放送されました。
私も再放送のたびに拝見していますが、義太夫の稽古が最も印象に残っています。7代目竹本住大夫さんによるお稽古が、登場人物の台詞の練習ではなく、義太夫の語りの部分で大変驚きました!おそらく熊谷陣屋の一節かと思われますが、一語一句直されるほどの厳しいお稽古で、それを必死に体で覚えていく團十郎さんのひたむきな姿…さらに「襲名まで40日」と字幕に出ており、緊迫した様子が約8分間にもわたって紹介されていました。
義太夫をマスターした上でないと歌舞伎役者は大きな役は勤めることができないと今回播磨屋の芸でもお伝えしましたが、だからこその厳しさだったのかと理解出来ます。そして12代目襲名の際、11代目は他界しており、先代の記憶をお持ちの方々から教えを請う状況でした。そういった方々の期待も一身に受け、それが12代目の演じる全てのお役のスケールの大きさにつながっていたのだなと思います。
享年は67歳です。本当に惜しまれる、早すぎる別れでありましたが、大病を克服されて地方の歌舞伎振興や数々の狂言の復活など、12代目が尽力された活動は今も活き続けています。そしてお孫さんの新之助さんにもその芸は受け継がれています。今回12代目市川團十郎さんの縁の一曲は、13代目との最後の共演となりました2013年公開の映画「利休にたずねよ」のオリジナルサウンドトラックより「数寄道」をお届けしました。



めでてえなあ 8/2〜8/8


お誕生日を迎えられる歌舞伎役者さんをご紹介する「めでてえなあ」のコーナー!お名前と所属 屋号をご紹介します。五十音順となっておりますのでご了承ください。8/2から8/8がお誕生日の皆さまでした。

8/2中村梅玉さん
高砂屋

8/2上村折乃助さん
         美吉屋  

8/3中村壱太郎さん
成駒家

8/3坂東彌七さん
          坂東彌十郎一門  

8/4中村翫蔵さん
          7代目中村芝翫一門   

8/6尾上音蔵さん
尾上菊五郎一門 

8/7市川猿紫さん
澤瀉屋

8/8澤村由次郎さん
          紀伊國屋
  
        

今回は8名の皆様がお誕生日でした。お誕生日おめでとうございます!



いかがだったでしょうか?
今回時間の都合でお届けできなかった9月歌舞伎座秀山祭の解説は次回のかぶきDOU 8/15㈫午前10:00〜10:25生放送でお届けいたします。お楽しみに!

8/8You Tubeアーカイブ

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※権利の関係でYou Tubeには音楽BGMが入っておりません。ミキサールームからのトークの為スタジオは無人で音声だけの配信となっております。ご了承くださいませ。


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