誰かの言いなりになる方法
自分らしく生きたいと思っている若者が多い。
書店に足を運べば、「自分らしく生きる方法」という類の本がところせましと並んでいる。
なんと嘆かわしいことだろうか。
最初にマジレスしておきたい。
「自分らしく生きる方法」を参考にしている時点で、著者のいいなりだ。本当に自分らしく生きている人は、そんな本の存在すら知らない。
そして「自分らしく生きる方法」の著者は、自分らしく生きていない。自分らしく生きている人は「自分らしく生きているかどうか」を考えていないからだ。今日が禁煙3日目だと数えている人はヘビースモーカーだ。煙草を吸わない人はそんな日数数えたことがない。
自分らしく生きている人は、自分らしく生きられたかどうか反省することもなく、そんなことを考えることもなく、人生を全うするだろう。
自分らしく生きたいだなんて、なんとマジメなことだろうか。
「一度きりの人生、自分らしくありたい。」
そんなニーズがあるのはわからなくもない。
でも、マジメだ。人生に対してマジメ過ぎる。
まるで鬱になったときの僕のようだ。
一度きりの人生、みんなが自分らしく生きたいと必死になるなら、僕は誰かの言いなりになってみようかな。くらいの心の余裕があってもいいと思う。
そう思えるようになると、どうやって人生を楽しむかという現実的なアイデアが出てくる。
自分らしく生きようとすると、やりたいことを探したり、自分の価値観を特定したり、自分の強みを分析したりといった苦行のオンパレードが待っている。
でも、他人の言いなりになって生きようとすると、ふざけたことができる。ただ上司のいいなりになって生きるだけでも面白い。でもどうせだったら上司を喜ばせたい。クズな上司であればあるほど面白い。
まず、バカでかい太鼓を持つと決める。上司がたじろぐくらいおべっかを使う。
「すみません社長、あ、間違えた、課長、今お時間よろしいでしょうか?」
太鼓のサイズはこれくらいでいい。
1ヶ月もすれば、課長を手の平で転がせるくらいの関係が築ける。だからと言って優位に立ったと勘違いしてはいけない。それは初心者にありがちなミスだ。
どんなに転がせるようになっても、
「課長、今年は課長のいいなりになると決めました。自分のバカな頭で考えるよりも、そのほうが成長できます!僕をこき使ってください!」
というセリフを週に3回は言ったほうがいい。そうやって、常にウザいくらい下手に出ておくことが重要だ。
そんな人生を5年送ってみよう。
まちがいなく、自分のやりたいことを探したり、価値観を特定したり、強みを分析したりといったことに時間を費やした人よりも、自分らしく生きられるようになっているだろう。
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