2023/12/2 19:00 ブルーエゴナク『波間』

客入れ
明かり:客電のみ
美術:両端をそれぞれ半間ほど空けて上下に渡る太もも丈くらいのパネル、アルミのようなシートがかけられている 前 中 奥と3枚
音:詳しくないので表現がむずかしいが、声をつよく感じる音楽 民謡的要素の感じられる現代音楽

開演
客入れ音楽によく馴染む、きっかけを感じさせないM0。
そのあと客電がゆっくり落ち、開演に気がつく。
音楽はまだ鳴っていて、明かりがつき、下手から男がゆっくり歩いてくる。夢と現実のさかいめがあいまいで、のようなことを話していたと思う。
男の動きに合わせて明かりがひそかに次々とつく。
パネル間のエリアのためのナナメのPARライト、気遣いの前明かり。
いつからか、異なる条件で明かりが動いている。
きっかけのわからない照明キューが続く。

このシーン1の明かりで、わたしのこの作品との接続方法が決定づけられたように思う。
わたしはこの時点ですでに、セリフを一言一句逃さず聞き取るための集中を通り過ぎていた。
つまり、言葉を取り落としたとしてもこの時間と繋がっていられる集中状態に陥ることができていた。
とてもうつくしい導入だった

小説の地の文のような男のモノローグ、男の自宅。女が下手から忍びながら登場し、場所がコンビニに変わる。男が去り際、名乗っていないはずの女の名を呼び、ここが男の夢の中であることを示唆する。男が自室に戻るとドアがノックされる。男はドアを開ける瞬間、これが夢だとわかる。ドアの前には そねちゃん が立っている。登校するのに、男を迎えに来てくれたらしい。
道中、男は気づく。

「じゃあそねちゃんは死んだから僕の夢に出てくれてるの?」
「そうでしょ。
 だって死にます。って書いてあったんでしょ」
「じゃあ一生目覚めない」
「じゃあエンドウくんも死ぬってこと?



 無理しなくていいよ。」

ここまで、ゆるやかな川のようによどみなく言葉が耳に心地よかったので、このシーンの空白が、俳優の呼吸が、わずかにわたしを置き去って、このときわたしは(昼にみた うさぎの喘ギ『演劇RTA ハムレット』のことも過って)、演劇って何なんだろう、(とか、人が生きているということって、とか)のような、茫洋たる疑問に襲われていた。
わたしが演劇をみているとき、なにより優ってひかり輝く瞬間だった。わたしにとって演劇をみるというのは、こういう瞬間のことなんだと思う。

そこから先のことは、じつはあまり覚えていない。というのも、この、「その瞬間」の最初回で、 「その瞬間」を外側から知覚することをやめることができたからだと思う。もう一段階深く集中したというか。
ちょうど舞台の方も男の夢が2周目に入っていて、登場人物たちも様子を変えていた。1周目では男が気づかなかった(あるいは気がつきたくなかった)ことで曖昧だった人物たちが、過去に因縁のあったクラスメイトであることがわかっていく。
このように、夢であるという設定を充分に活かし時間をいったりきたりするので、関係性のほとんどが明らかになった終演後の今、もはや自分がどの時点で誰の何がわかっていたか思い出せない。
そういう風にも曖昧だった。

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