「文化住宅」

WEDNESDAY PRESS 047

京阪電車で通勤する。
以前は枚方から淀屋橋、現在は三条から淀屋橋。
ずっと京阪電車に乗り続けている。60年ぐらい前は、枚方から天満橋(当時は天満橋が終点)へ向かう。車窓の風景は、まだ畑が一面に広がり、大阪平野という印象が強かった。

1960年代半ばからは東京オリンピック、大阪万博など高度成長期を迎え、田畠は宅地へと変換する。そこで登場したのが「文化住宅」と呼ばれる集合住宅。長屋や下宿屋は共同便所、風呂はなし、台所も兼用というスタイルであった。だがトイレ、台所を各戸に設けたのがいかにも「文化的な生活」ということで「文化住宅」と呼ばれたようだ。風呂は町単位で銭湯があったので、各戸に風呂がつくのはもう少し後の時代だ。

線路沿いに「文化住宅」がどんどん建って行くのを眺めながら電車に乗っていた。電車は動いているのだが、あまり風景は変わらないという時代が長かった。昭和から平成、そして令和に時代は進み。車窓の風景が如実に変わる。おそらくハイツやメゾン、マンションなどと呼び方が異なる集合住宅が増えてくる。ここには建設側の個性が見事に反映される。

最近は、あの集合住宅が見えたので、どの辺りを走っているというのがすぐにわかる。もちろん、それらの住宅に入ったことはないが、間取りも含めかなり変化しているのだろう。そうではなく、間取り自体はあまり変化していないのか、興味がわくところだ。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?