「普遍的なもの」

WEDNESDAY PRESS 059

過日、和歌山の「オテルドヨシノ」の手嶋純也シェフと京都の「ドロワ」の森永宣行シェフのコラボレーションを企画した。テーマは「クラシック」である。フランス料理の古典といえば、誰もがエスコフィエを想起する。だが、二人はエスコフィエ以前のユルバン・デボアという料理人の「古典料理」という書物を引っ張り出し、それをテーマとした。と言ってもその再現ではない。現代の食べ手が「美味しい」と感じる料理に仕立てたのだ。
メインはパイ包み焼きが登場した。それを食べたある人物は「いま、ヨーロッパでも20・30歳代がこのような料理を作り始めています」と評した。僕たちが食べても、全く古さを感じない料理であった。これを古典料理と呼んでいいのであろうか。無論イノベーティブと評される料理とは一線を画する。

後日京都の「洋食おがた」でハンバーグを食べた。数ヶ月前から牛肉が変わった。明らかに以前食べたハンバーグとは異なる味わい。だが、ハンバーグはハンバーグである。ハンバーグは18世紀にドイツのハンブルグで生まれたという。それ以前のタルタルステーキなどが原型とされる。しかし、ハンバーグはずっと食べ手の需要を換気する料理であることは違いない。誰もが古典料理という認識はない。

そう考えてゆくと、古典料理は普遍的な料理であるかもしれないと思うようになってきた。別段新しい料理を生み出そうとするのではなく、古くならない料理を作ることの方がはるかに難しい。古いと古くさいでは、全く意味合いが違う。そう思うと、自らの仕事も普遍的でありたいと思ったのである。

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