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文学青年になれなかった男【出版社を作ろう3】

相変わらず出版社立ち上げのために、社名を考えながら、情報収集する日々。

ふたり出版社の点滅社さんの以下の記事を参考に、『あしたから出版社』を読んでいる。

この本は、ひとり出版社の草分け的存在である夏葉社の、エモーショナルな創世物語だ。創業者であり著者である島田潤一郎さんが根っからの文学青年というのもあって、その描写からは心を揺さぶられる筆力を感じる。だが、読み進めていると、島田さんと僕とでは「出版」に対する考え方が全く異なることに気づく。どうやらひとくちに出版社と言っても、大衆居酒屋と高級フレンチくらいのバリエーションはあるらしい。

島田さんはおそらく「本」を芸術作品として愛している。つまり、ストーリーや文体、フォントはもちろん、装丁や挿絵、カバーの材質を含めた総合芸術として、本を捉えている。だからこそ「デザインはあの本を手がけた誰々さんに」「挿絵は誰々さんに」と、細部まで妥協がない。

一方、僕はといえばそういう明光風靡を理解せず「読めればいい」というタイプである。電子書籍を読まず紙の本にこだわるのも、気を散らすことなく本にコミットしやすいという実用的な理由だ。そんな男だからこそ、無謀にも装丁も校正もDIYしようとしている。

そもそも出版社立ち上げの動機も異なる。島田さんの動機を雑にまとめれば「好きな文学を届けたい」という動機である。おそらく点滅社さんも、近しい動機なのではないだろうか。根っからの文学青年、サブカル青年が、出版社を立ち上げるとなると、こういうモチベーションが原動力になるのだろう。

一方で僕は、そもそも自分が書くアンチワーク哲学を世に問いかけたいという動機であった。

尚且つ、僕のような素人の言論を集めて、世の中に揺さぶりをかけたいという、民衆煽動罪すれすれの野望もある。そんなモチベーションだから、装丁なんてどうでもいい‥とまでは言わないものの、「一応パセリ添えとくか‥」くらいの感覚なのだ。

そもそも僕は文学青年ではない。小説や詩もたまに読むが、本棚にはそうでない本の方が多い。

僕はラディカルな言論を求めて本を読んでいるラディカルジャンキーである。だから内容以外にほとんど興味がない。安ければ躊躇なく文庫版を買うし、本の状態も子どもに破られたり、マーカーを引いたり、ぐちゃぐちゃである。

色んなひとり出版社を調べていると、僕のようなモチベーション、価値観の人がほとんどいないことに気づく。十把一絡げにするのは気が引けるものの、文学青年型のひとり出版社が多い印象である。

『あしたから出版社』でも、文学青年の島田さんが文学好きのコミュニティで愛されて、人々に応援される様子がありありと伝わってきた。どうやら僕は、元文学青年のおじさま方が担いでくれる神輿にはなれなさそうだ。

では、僕という神輿を担いでくれるのは、どこの誰なのだろうか?

わからないが、まぁとにかく文学青年型のひとり出版社とは差別化できてると、前向きに捉えることにしよう。

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