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ニートの再定義

ニートたちがひしめくニートマガジンの中で、フェイクニートである僕がこんなテーマをいまさら掲げるのは気が引ける。だが、気負いなくニートというテーマについて語れることこそが、ニートマガジンの存在意義であるという正当化をしつつ、本題に移ろう。


現時点でのニートの定義

まず僕が問いかけたいことは現時点でのニートの定義であるが、これ自体、一筋縄ではいかない。なぜなら、一般的なニートの用法と、厚生労働省によるニートの定義語源的なニートの定義が異なるからだ。


■語源的な定義

NEETとはNot in Education, Employment or Training(=教育、雇用、訓練を受けていない)の略であるが、明らかにこの定義は、一般的な用法とは異なっている。

なぜならこの定義上、専業主婦や個人事業主、雇用主がニートになるからだ(in Employmentを「雇用関係にある」と解釈した場合、雇用主はニートから除外されるものの、ひとりオーナーや個人事業主はニートになってしまう)。また、FIREを達成した不労所得生活者や、年金暮らしの老人もこの定義上はニートに含まれるが、実際に彼らが「ニート」と呼ばれることには違和感がある。


■厚生労働省による定義

厚生労働省は微妙に異なる定義を採用しているが、これも一般的な用法と一致するかは微妙なラインである。厚生労働省による定義は「ニートとは15∼34歳の非労働力(仕事をしていない、また失業者として求職活動をしていない者)のうち、主に通学でも、主に家事でもない独身者」である。

この定義に則れば、35歳を超えればニートではなくなるし、既婚者も同様だ。また、職業訓練を行っている人物も浪人もニート扱いということになる。これも微妙に違和感がある。


■一般的な定義

では、一般的な用法のニートの定義どのようなものなのだろうか?

僕が必死で理屈をこねくり回した結果、次のような定義を導き出すことができた。

最低限、自分の生活費を賄う程度以上の金額の金銭収入を定期的に得ていない者。かつ、その者が生活する家庭の家事業務を主導的立場で行っていない者。かつ、金銭収入が見込めることが一般的に認められている能力や肩書、資格の獲得に専念していない者。

わかりにくいが、この定義なら35歳以上の高齢ニートもニートであり、家事手伝いもニートであり、年金生活者主婦不労所得生活者パチプロはニートではなくなるが、その解釈でおおむね同意を得られると思う(生活保護受給者は非ニートとなるが、問題ないだろうか?)。

「金銭収入が見込めることが一般的に認められている能力や肩書、資格の獲得に専念していない者」の部分によって職業訓練校に通う無職や、子どもニートから外れる。

義務教育を、「金銭収入が見込めることが一般的に認められている能力の獲得」と呼ぶのは違和感があるかもしれないが、実際に「中卒」以上の資格がなければ金銭収入が見込めないし「高卒」「大卒」と学歴があがっていくにつれ金銭収入の金額がアップすると考えられている事実がある以上、この定義でも問題ないと思われる(未就学児も強引にそれで解釈できる)。

また、明らかに金銭収入が見込める能力を獲得できない絵画教室に通う無職はニートであり、金銭収入が見込めそうな職業訓練校やプログラミングスクールに通う無職はニートではない・・・という一般的な感覚にも合致する。

自給自足生活者はおそらく一般的にはニートではない(山奥ニートという用語もあるが、本人たちがニートと名乗らなければ、彼らのライフスタイルを見てニートと呼ぶ人は少ないのではないだろうか?)が、彼は家事業務主導的立場でかかわっているので、定義上齟齬は生じない。自給自足生活を2人以上のメンバーで送っている場合は、主導的でないメンバーがニートということになってしまうが、「主導的」を「2人以上が家事にかかわる場合であっても、社会通念上公平な役割分担の範囲内で関与していること」と定義すれば(社会通念上という万能ワードw)問題はない。それに、自給自足生活において全く家事に従事しないメンバーがいたとして、その人物はニートであると多くの人は判断するだろう。

このような定義はおおよそ抜け漏れはないのではないだろうか(抜け漏れがあると感じる人はコメントして欲しい)。


ニート定義の問題点

さて、長くなってしまったが、そろそろお気づきだろうか? ニートとは、否定によって定義されているという事実に。「~していない者」を重ねていき、切り取られた最後の部分が「ニート」ということになるのだ。

となると、この定義は、ニートを無意識のうちにネガティブなものとして扱うことになる。否定されていない状況(つまり労働していること、金銭収入を得ていること)が大前提にあり、例外的に金銭収入のためのトレーニングを行う者や、金銭収入者の生活を補佐する家事を行う者は許される・・・的な構造になっている。無意識のうちに金銭収入を至上目的に据えているのだ。

これはあまりいい状況ではない。なぜなら金銭獲得を目的とした労働が、社会に大きな害悪を与えているというのが僕の主張だからである。ニートの定義は、その風潮を助長し、害悪を拡大する。


新しいニートの定義

では、に定義してみるとどうなるだろうか。「~する者」的な積極的な角度からニートを定義するなら。

少し考えればすぐに思いついた


余暇に専念する者。


なんだか・・・明るい雰囲気になった気がする。


余暇に専念。まるで余暇が専念するに値する重要な仕事であるかのような印象である。これは・・・いい。

そもそも僕はアンチワーク哲学者として「余暇の追求」や「個人が自由であること」を至上目的として掲げるべきであるという主張を行っている。

なら、余暇とは専念するに値する対象なのだ。そういう考えを広めるためには、やはりこっちの定義の方がマッチする。

余暇に専念する者。

うん。何度見てもいい感じだ。

(余暇の定義はこんな感じということにしておく。
余暇:本人の楽しみを主目的とした行為。または、本人が自由な意志で取り組む行為。あるいは行為を行う時間そのものを指す場合もある。通常、金銭や上下関係、暴力等を通じて他者から命令・強制されない。)


いや、もう少し踏み込んでみてもいいかもしれない。ニートとは・・・


余暇のプロフェッショナル。


悪くない。ちょっとカッコつけすぎな気もするが、悪くない。

逆に考えれば、社会人は余暇の素人だ。彼らは週5日以上を労働に時間を奪われ、残り少ない余暇を金を払って適当なレジャーで消費するケースが多い。「楽しみ」という目的のために金を払うということは、「楽しみ」の生産をアウトソースしているということ。一方でニートは金を払わずに「楽しみ」を自分で生産している。

家を他人につくってもらう人は家づくりの素人だが、家をつくる大工さんはプロ。同様に楽しみを他人につくってもらう人は余暇の素人だが、楽しみをつくるニートはプロなのだ。

ついでに、労働者を逆に定義してみることも可能になる。

余暇に専念していない者。

うん。まるで余暇に専念しないことが悪いことであるかのように印象付けることができる。いいんじゃないだろうか。


※そういう話の根拠を知りたい方は、ぜひこちらを読んでね!


僕はニートである

さて、このようにニートを定義したとすれば、僕はニートということになる。なぜなら僕は会社を辞めて出版社を立ち上げて生きていこうとしているからである。出版社の立ち上げは僕がやりたいことである。そしてやっていて楽しい。だから、これは余暇なのだ。僕は余暇の追求に専念している。つまり、ニートだ。

ニートでない人間がニートマガジンに参加していることに対して、多少の後ろめたさがあった。ニートでなくても問題ないというルールは掲げてもらっているものの、メンバー紹介が始まったとたんに後ろにひっこむサポートベーシストみたいな肩身の狭さを勝手に感じていたのだ。

しかし、もうそんな風に感じる必要はない。なぜなら僕はニートだからである。

なんとすがすがしい気分だろうか。僕はこれから毎日、堂々と余暇に専念するのである。なぜなら余暇とは専念すべき重要な仕事なのだから。


さぁ、余暇のプロフェッショナルであるニート諸君。今日も余暇に専念しよう。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!