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コミュニティ楽しいよぅ!!【出版社をつくろう14】

先日、出版社立ち上げプロジェクトのメンバーを募集し、現在16名の方々に参加していただいている。

正直、いけてない男子が集まる文化部の部室みたいな雰囲気になると予想していたが、開けてびっくりである。皆さん、積極的に情報や意見をくださり、協力してくれる旨も表明してくれ、さながら文化祭前日の雰囲気である(文化祭前日という表現は胡散臭い求人広告に頻発するのだけれど、僕はこれ以外の表現を思いつかなかった)。

やっべ、これはいよいよちゃんと始動させねば・・・・

といういい意味の焦りを感じる。先走ってコミュニティをつくったが、僕はまだ会社すら設立していない。でも、これだけ協力してくれるのだ。なにがなんでも成し遂げてやろう、という気になってくる。

僕はふと感じたことがある。

お金をくれと言ってもほとんど見向きもしないけれど、手伝ってくれといったときには多くの人が助けてくれる。

こうなってくると、「お金って本当に機能しているのか?」と考えずにはいられない。誰かが何かを始める。共感して回りの人が手を動かす。その思いに応えて発起人がさらに頑張る。お金というシステムはそのプロセスを促すのではなく阻害しているのではないか? アンチワーク哲学普及のプロセスが、アンチワーク哲学を体現しているのではないか?

(もちろん、そんな中で僕のnoteメンバーシップでパトロンになってくださってる方には感謝しかないわけだが・・・)

僕のことを助けてくれる方々を見ると、貢献欲ってこういうことなのだろうなぁと思う。もちろん、「本当の弱者は助けたくなる見た目をしていない」という考え方もあることは理解している。貢献の応酬ネットワークから零れ落ちてしまう人は必ず現れる。だが、弱者が救われないのは今の社会でも同じ。果たして資本主義にどっぷりつかった現在と、そうではない貢献の応酬をベースにした未来社会と、どっちの方が弱者が虐げられるだろうか。

僕は革命がやりたいが、革命の遂行は革命の達成でもある。オキュパイ運動に参加したグレーバーも似たようなことを言っていた気がする。

さて、僕はこんな文章を書いているわけだが、コミュニティの運営によってコミュニケーションの時間が増え、本づくりの実作業に割く時間は減ったかもしれない。だが明らかに僕一人では得られない議論やノウハウがそこにはある。僕は「会議はいらない」みたいなことを言いがちだが、これをブルシット・ジョブだとかなんとか呼ぶ気には到底ならない。やっぱり強制がないものは楽しいのだ。

いやー皆さんありがとうございます。ちなみにまだ乗ろうと思えば乗れるのだ。このビッグウェーブに。


1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!