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8年間頑張った私へ。

嬉しい。とか、良かった。とか一言では到底表せない出来事がありました。

noteで自分の身体のことはあまり書かないようにしていましたが、大切な一区切りがついた記念に備忘録として書き残しておこうと思います。

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8年前の夏、当時勤めていたテーマパークを一度辞め、ゆっくり今後のことを考えようと思い、知り合いに紹介してもらった近所の保育園で1歳児のクラスの保育補助としてアルバイトをしていました。

園児たちは本当に可愛くて、たくさん懐いてくれて。
体力勝負の毎日でも充実していた時、手が震えて力が入らなくなり、一週間くらい微熱がずっと下がらず、お腹は空くのにあまり食べれない日が続きました。

兄と二人暮らししていたので、そこそこ広いところにいたのですが、
リビングから自分の部屋に戻るまで動悸がひどく、しゃがみこんでしまったり…。

思えばその年の春から、よくわからない体調不良で救急車で運ばれたこともありました。


アルバイトは短期契約だったので、事情を話しちょっとだけ早めに終わらせてもらい、一旦実家に療養に帰ることになりました。


次の日の朝早く、総合病院に連れて行ったもらってたくさんの検査の結果は予想していた通りのものでした。

歌手の絢香さんと同じ、甲状腺の病気「バセドウ病」でした。


実は私がなる10年前に母親がなっており、母は薬が合わず短くはない期間、入院していました。

なので私が体調のことで電話した時、母が同じだ…!とすぐに気付いてくれて実家に帰ってくることをすぐに決めてくれました。

私も入院するのかな…と不安に思っていましたが、まずは薬で様子を見て毎週の血液検査をすることになりました。

「完治という言葉はないから、上手く付き合っていこうね」

そう話してくれた、当時担当してくれた先生は本当に優しくて、丁寧で寄り添ってくれる素敵なお医者さんでした。


まだ20代前半も前半です。ショックでしたが、両親を悲しませるのは…と思い元気な自分を見せていました。

バセドウ病になる原因というのは解っておらず、さまざまな理由が考えられるそうです。ただ、病気は遺伝しないのですが(母は私を生んだ後になっているので)体質が遺伝しやすいのだそうです。なので母方の方にやはり、甲状腺系の病気の方がいました。


入院はないので、本当に家で文字通り大人しくする生活が始まりました。 

症状は人によって違いますが、疲れやすい、体がだるい、動悸、手の震えなどなど様々。寝ていても座っていてもランニングをしている状態なので、食べても太れないのです。
あと、夏は辛い。と言われています。

もともと体力がない身体なので、ちょっと出かけただけでもすぐに疲れるし、休もうと思って横になっても動悸が苦しくて眠れない…。などなどでした。


将来への不安もあるし、ずっと続けたかったテーマパークでの仕事も諦めなければいけなくなり、当時付き合っていた人に療養中に浮気されるなど(とんでもない人(笑))本当に希望なんて見つけられませんでした。


でも家族や友達、本当に本当に周りの人に恵まれました。

たくさんの人のおかげで大分元気になり、東京に戻って非正規ではありますがまた働けるまでになりました。

事務として働きはじめた最初の会社は、とても理解のある方ばかりに恵まれて、急に体調が悪くなってもいつも心配してくれて「早くゆっくり休んで」と温かい言葉を惜しみなくかけてくれました。

メモしている途中に手が震えて、手首を抑えながら頑張ってペンを走らせたこともありました(笑)。


少しずつ、少しずつ身体はゆるやかに良くなっていき
お仕事も徐々に自分のやりたい道を見つけることもでき、転職もしながら
身体の声を聞き、上手く付き合いながらなんとか毎日を過ごしていけることが出来ました。


5年くらいまえに一度悪化してしまい、放射線治療を進められたことがありましたが、なんとか避けたい…と思い続けていたら次に行ったときになぜか良くなって回避できたという奇跡もあったり。



毎日飲んでいたお薬の量が、一日おきになり、週に二回になり、ついに昨年
「一度お薬をやめてみよう」と言ってもらえました。

ただ、薬を止めたら再発の可能性が高くなるから、以前より頻度は高く通院してね。と言われ、私にとって勝負の一年間でした。

毎年夏は本当に辛くて、一日一食しか食べられなかったり
仕事から帰ってきたらすぐに寝ないと次の日に起き上がれないような日々でしたが、今年は元気で(笑)。

残業もりもりでも、食欲はあるし、例年と違うなぁと実感していました。


そしてついに、昨日の通院で一区切り。

完治という言葉はないので、病院に行かなくなるわけではありませんが、やっとやっと。一区切りつけることが出来ました。

気付けば8年でした。

自分でいうのも恥ずかしいですが、いっぱい頑張りました。


人に言うと、「本当にそんなこと言う人いるの?」と疑われるくらい、
病気に対して心無い言葉を言われたことも、何度もありました。

ホルモンの病気で一見元気だったりするので(元気な時は元気なんです)分かりずらい病気なのです。

調べると、私と同じように周囲への理解が得られず苦しい思いをしている方がいっぱいいました。

悔しい思いも、何で…て思うくらい悲しい思いもたくさんしました。
泣いたことなんて数えきれないくらいです。


でも同じくらい、人の優しさや思いやりに触れた期間でもありました。

一緒に出掛けた時に歩くスピードを合わせてくれたり、
食べ物に気を遣ってもらえたり、
病気になりたてのころは、友達が遠回りしてもエレベーターやエスカレーターの道を探してくれたり。

大丈夫だよ。って言葉がどれだけ嬉しかったことか。

迷惑かけて「ごめんね」という私にどれだけ優しい言葉を、思いやりにあふれた言葉をかけてくれて救われたことか。

こんなに優しい言葉を、行動を、私は同じようにとれるだろうか。と学んで。
私も誰かに優しくできる人間でありたいと思わせてくれるくらい、たくさんの素敵な人に囲まれていました。

私は幸せ者だと心から思います。


昨日の病院の帰り道。

木の緑は元気で、空は綺麗な青で。

タイムマシーンに乗れたなら、8年前の私に
「大丈夫だよ。ちゃんと良くなるからね」と言ってあげたい気持ちになりました。


たくさん端折った部分もありますが、
今回の感謝を自分のために書き残しておこうと思って書きました。



帰りに買ったガーベラさん。

お花屋さんのお姉さんの笑顔がとっても素敵でした。



読んでいただき、ありがとうございました。

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