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グーグル・マップ・ミラノ・サンポ

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん

萩原朔太郎 「旅上」----エピグラムにかえて

* * *

ミラノに行きたい、ずっとそう思っていた、いつからだろうか、なにがきっかけだったろうか、

おそらく、中田のヒデだったと思う、あの金髪で、短髪の、切れ長の目の、中田のヒデが、ミラノでセンセーショナルな活躍をして、宮沢りえと海老反りのキスをして、そのときにぼくは、ミラノを、はじめて、遠い遠い異国の地として頭にインプットしたのだと思う。

因果なものだ、中田のヒデが、宮沢のリエと、海老反りのキスをしたのは、もう10年以上も前、そのあいだぼくが中田のヒデを思い出すことは一度もなかった、その間ぼくは本に夢中になっていた、映画に夢中になっていた、女の子に夢中になっていた、けれどもこうして青年期を脱したぼくは今、取り憑かれるようにして、中田のヒデの幻影に取り憑かれている、ミラノに恋い焦がれている、本にも映画にも女の子にももう夢中になれずに、中田のヒデのスルーパスとミドルシュートをミラノの街に想いえがいている、中田のヒデが在籍していたのはミラノではなくパルマのサッカーチームだったのに・・・

ぼくはミラノに行かれない、お金と時間を、もたない、薄給で平日にたっぷりと働かされているから、たばこ休憩もろくにとれずに、だけれども、ミラノに行きたいきもちは止められない、ひとり帰る道、お酒に酔う天上のとき、朝目をさました真空のとき、どうすればいいか考える、どうすればミラノに行けるか、中田のヒデが歩いたミラノの街を歩けるか、考えた、巨大な倉庫のとなりをいつまでもあるいて、白波をお湯で割って、ぺらん・ぺらんの布団にくるまって、ねむりの門のまえをうろうろして、考えた、ぐるぐる、ぐるぐる、考えた、そして思いついた、ミラノへの道のりを、見つけた、思いついた。

グーグル・マップ・ミラノ・サンポ 、そう、グーグル・マップ・デ・ミラノ・ヲ・サンポ、そう、グーグル・マップ、グーグルの地図アプリ、グーグル・マップがぼくにはある、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンがのこしたグーグルと、ジョブズがのこしたスマートフォンが、ぼくのポケットにはある、 だからぼくは萩原朔太郎のできなかったことを、遠い遠い異国の地のファンタスムをやぶる旅にでる、古い背広のままで、列車にものらず、六畳間のこざっぱりとした部屋で、ミラノへの旅にでる。

* * *

だいじなことは、グーグル・マップと現実をちかづけることだ、ぼくの過去の旅情とこれからするグーグル・マップの旅情をかぎりなく重ねることだ、ぼくがこれまでにした旅でもっともグーグル・マップの旅に近い旅を考える、現実を旅しながら非現実を旅していた感覚を得ていたときのことを思い出す、そのときの環境を、そのときの状況を、そのときの心境を、思い出す、思い出してこれからするグーグル・マップの旅で使う、そう、そう、ぼくがもっとも現実を旅しながら非現実を旅していた感覚を得ていたのは、5年前のベトナムへの旅だ、ぼくは付き合ってもいない女の子とベトナムへ4泊5日の旅をした、ぼくはその女の子に恋していた、手をつなぎたかった、抱きしめたかった、キスをしたかった、乳房をすいたかった、でもそれはできなかった、その4泊5日、ぼくははじめてベトナムに行ったのにベトナムどころではなかった、それから何年か後に行ったバリやハワイやニューヨークのようにベトナムはぼくのなかで像をむすばなかった、でもぼくがベトナムのその4泊5日を思い出すとき、ベトナムはまぎれもない具象の風景としてぼくの中にたちあがる、それから何年か後に行ったバリやハワイやニューヨークよりも強烈に、具象の風景としてぼくの中にたちあがる、その心的作用を考える、その心的作用を利用する、グーグル・マップ・ミラノ・サンポに、ミラノに行きたい今のぼくの心に、あの日のベトナムの旅をエンジンとして積み込む。

* * *

グーグル・マップ・ミラノ・サンポは、となりを向けば恋い焦がれているあの子がいるものとして行う、グーグル・マップ・ミラノ・サンポは、目の前の道(ストリート)あるいは風景(ビュー)に心をうばわせるのでなく、あくまで心の遠景にとどめて行う、グーグル・マップ・ミラノ・サンポは、夢遊病者のように身体を幽霊化し、現在を過去のように歩くものとして行う、グーグル・マップ・ミラノ・サンポは、グーグル・マップのうつるスクリーンを1ミリの薄目でのぞき、スクリーンとぼくの六畳間の境界を溶解したうえで行う、グーグル・マップ・ミラノ・サンポは、ぼくがふだん把持している認知能力を可能な限りゆるめ、ぼくを”いまここ”からズラすものとして行う・・・

* * *

まずはミラノ大聖堂ドゥオーモへ歩いていく、ぼくは愛しいあの子とドゥオーモのちかくのユースホテルにツインベッドで宿をとっている、朝いちばんに、観光客でごったがえさないうちに、ナポレオン時代に完成した世界最大のゴシック建築をみようと、ミラノ大聖堂ドゥオーモへ歩いていく、路面電車をはさんだ四車線の大通りラルガ通りをふたりで歩いていく、吹き抜けのある大きな書店がある角を左折する、目の前には新しい道と風景があらわれる、そして大聖堂へと至る猫の道のようなパラッツォ・レアーレ通りを歩いてゆく。

(パラッツォ・レアーレ通り)

上を見ると細長い青空が落ちてくる、紺色のスーツを着たミラノ・マンがイライラした顔ですれ違う、母と手をつなぐ男の子はぼくたちの結ばれない愛情をまえにして軽やかにさわぎたてる、ぼくはミラノに来たことを後悔しはじめる、そう、そう、ぼくはミラノに来るべきではなかった、ベトナムのときのようにあいまいで煮え切らない関係のまま旅にでるべきではなかった、友だちの関係を失うことを恐れずに想いを告げるべきだった、ミラノに一緒にいってくれる事実に甘えるべきではなかった、ぼくはでも穏やかで大人びているところが彼女に居心地のよさを与えているから、ぼくはぼくの殻をやぶらない、関係を前へは進めない、ぼくは彼女の横顔へ一生懸命言葉を投げかけつづける。

(ミラノ大聖堂ドゥオーモ)

彼女が以前付き合っていた恋人への未練めいた想いを口にしはじめたとき、小道はいつのまにか終わっている、とつぜんミラノ大聖堂ドゥオーモがあらわれている、彼女は話すのをやめる、沈黙がおとずれる、恋人への未練は目の前の建造物へすいこまれる、ぼくはおとずれた沈黙に気づいて彼女の横顔を見る、彼女の視線のさきにあるものを見る、ミラノ大聖堂ドゥオーモを見る。

(つづく。文・スイートメモリー)


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