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「かえれない平日」について

このnoteが複数人で運営していることが分かるようにと、某映画会社勤務の"GunCrazyLarry"と名乗る男の一声で、プロフィールが明確になった。そして同時に「カルチャー&ライフスタイルマガジン」のテイなのだということも、某出版社勤務の"スウィートメモリー"と名乗る男が、意識的か無意識的かは別として、文字に起こし、方向性を定めてくれた。自分の関与しない所で形作られていくのは、疎外感というよりむしろある種の嬉しさを感じる。

改めてプロフィールを読み返すと、「ライフスタイル」という言葉が目に止まる。この何気ない定義に、ある漫画の1シーンを思い出した。

主人公は雑誌編集者である。ある日彼が本屋を訪れると、雑誌を立ち読みしながら会話をしているカップルの話し声が聞こえてくる。彼女が彼氏に「この雑誌好きなんだよね」と話しかける。彼女が手にしているのは、主人公が編集している雑誌である。自分の携わる雑誌を手にする人を目の当たりにして、喜ぶ主人公。しかし彼氏の男はこう言う。

「それ、リノベーションした田舎の一軒家を紹介したりする"ライフスタイル"雑誌だろ。"ライフ"じゃ無いじゃん。"スタイル"だけだとリアルじゃないよ」

帰途、主人公は悔しさを滲ませながら思う。「ライフじゃなくてスタイルだっていいじゃないか。誰にだって憧れの生活はあるはずだ」

細かいセリフは忘れたが、確かそんな感じだったと思う。

確かに「ライフスタイル」は「ライフ」にはならない。憧れの生活は憧れであって、映画や小説の世界と同じように、現実ではない。しかし誰でも、日常に「ライフ」とは違う何かを求めているし、時に現実から抜け出そうともする。何かに憧れを感じる時、それはその人の「ライフ」の延長上に間違いなく立脚している。冴えない日常を補完するための理想。それがリアルじゃないとは思わない。

今は誰もいない会社の会議室で文章を書いている。窓に夜景は臨めず、蛍光灯で無機質に明るくなった室内がただ反射するだけである。そこには、会社にいながら仕事をしない私が映し出されている。

午前2時。仕事をするつもりが、駄文を拵えるのに1時間も費やしてしまった。今日は「かえれない平日」を諦めて、そろそろタクシーで家に帰ってもいいかな、と思う。

(文・もいすと)

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