2020年9月22日(火)

論理の名の下には反論できないけれども、感覚においては承服しかね、またその拒絶が正当なものであることは不思議と確信されている、という類いの言説が世の中にはいくつもあって、その代表例が、チーズバーガー二つを購入して重ねればいいのだからダブルチーズバーガーなど不要だ、という片腹痛い主張である。畳に横腹を押し付けながら聞いていたお笑い芸人のラジオのアーカイブで今日耳にした論争だけれども、それより以前、私がダブルチーズバーガーを家族の前で購入した際、父親から同様の主張とそれに基づく経済不合理性及び家計に与える損失を、それなりのトーンで詰られた記憶がある。ダブルチーズバーガーはおろかチーズバーガーでさえ普通のハンバーガーを買って家でスライスチーズを挟めばいいことだろう、スライスチーズを挟んでもらうただそれだけのことにわざわざ二十円も支払うことなどない、という過激派な父親に対して、しかし私は、あなたが食べているビッグマックよりは安価なのだからよいだろう、といういささか論点のずれた反論しかできなかった。忸怩たる思いだ。そもそもチーズバーガーを二つ買うより、それに比べてバンズが一枚少ないはずのダブルチーズバーガーのほうが高価な値段設定がまかり通っているのもおかしい、チーズバーガーを特別安価に提供しているだとか、ダブルチーズバーガーはマクドナルドが考案した最良の手順で作られているだとかいう主張をマクドナルドは繰り広げているらしいが、ダブルチーズバーガーが一番美味い、と快く宣言できずに肩身の狭い思いをさせられている我々消費者のことを最善に考えるならば、チーズバーガーだけでなくダブルチーズバーガーも特別安価な値段で、せめてチーズバーガー二つ分の値段で提供してはどうなんだ! という暴論を、昨日から観ている【半沢直樹】のように主張する練習をしていたら、一日が終了した。私は明日も休みなので、こんなことをしていても許されるのだ。

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