ブンドドの話(裏カ)

 先週は無断休載しちゃいました。ごめんなさいでした。ゴールデンカムイの放送見てから記事書く癖をつけてたせいで先週放送がなくて逃しちゃいました。ごめんなさいでした。前書きおわり。

 ぼくは自分の小さい頃の話をする時に「友達がいなかった」と話すことが多い。
これに対して「ご、ごめんな….辛い話させて….」と対応されるか「あ、ああぁ…..(納得」みたいな対応されるかは人それぞれなのだが、
問題はそこではなく、実際は説明がめんどくさいから「友達がいなかった」と言っている場合が多い。

 実のところ友達はいた。幼馴染もいたし、毎日遊ぶような友人たちもいた。けど、一つほかのみんなと噛み合わないところがあった。
ぼくの父が実家で商店を営んでいた。土日も父は働いていて、実家の休みの日は火曜日、平日だった。
平日学校に行っているぼくは父とまともな休日を過ごした記憶がない。しかし、周りの友人たちは、特に小学生の頃は土日は家族と過ごすことが多かった。故に、ぼくは長い土日を一緒に過ごす「友達がいなかった」というわけだ。

 なので少年時代のぼくは土日は家の中か、家の周りで一人で遊んでいた。歳の離れた姉が土日構わず部活の練習に行っていたので、兄弟でも一人だった。ただ、姉はいなくても、姉が親にねだって買ってもらったおもちゃはその辺にたくさん転がっていた。
竹馬、ローラーブレード、一輪車。竹馬の友はいなくても一人で上達するものである。一輪車で町内を一周できるぐらいただただ一人で遊んでいた。街の人に顔を覚えられた。今考えるとバカだと思う。
 あとはタイトルの通り、ブンドドだ。ぼくはムゲンバインとかいう組み替え変形ロボットシリーズのおもちゃが好きでいくつか買い与えられていた。親の方も遊び相手になれないから廉価なホビーであれば買い与えていたのだろう。ゲームは全然買ってくれなかったが。
この頃からぼくのロボット英才教育は始まっていたのだ。夏休みもマジで一日中クーラーのかかったリビングで玩具箱をひっくり返してブンドドしている少年だった。今思い返せば小学生いっぱいまでロボットホビーでブンドドしてるのは若干精神年齢が低すぎる気がするな。幼稚園性ぐらいで終わるんとちゃうかそういうの。

 というわけでぼくは本当に友達がいなかったが、同時に自分の時間をうまく作って使える少年時代を送れていたんだろう。別に友人と特段喧嘩もなかったし、極めて平穏なかりなよしのぶは静かに暮らしたい。であったわけだ。

 友達がいないという聞く人が聞けば悲しい記憶だが、ぼくは強がりでもなく嫌な記憶に思っていない。それどころか今のぼくを形作っている大事なピースであっただろう、ぐらいに思っている。
 間違いなくロボットを自分好みに組み上げて動かしてブンドドしていたことは、ロボットの絵を描く趣味に繋がっている。ポージングにこだわったり、パースや立体物を意識できるのはこの時培われたものだろうと容易に想像できる。別にロボ絵を描くことが人生で銭を稼ぐ手段になってないしするつもりもないが、絵を描けるということが人生を豊かにすることもまた事実なので相対的に良いことだと思っている。
 ぼくは、自分の過去を忘れたい過去として捨て去りたくない。悲しいことも辛いこともあったが、今幸せに生きる糧だったと思って生きている。破滅的な破局をした友人とかいないわけじゃないが、彼との長い間共に話した事柄などはぼくの人生や考え方に大きな影響を与えたと思っているから感謝している。破滅的な破局をしたが。そういうことだ。どういうこと?

 Q.ところで竹馬ができることとか一輪車ができることって役に立ってたの? 

 A.あるある! マザー牧場で自由に使っていい竹馬でおもむろにケンケンパとかしたら一笑いとれたよ!!

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