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先天性食道閉鎖症が発覚した時の話①

 娘は先天性食道閉鎖症という食道の奇形で生まれてきました。当時はSNSをやっていなかったこともあり、この病気の疑いを知った時、藁にも縋る思いで検索したものの情報は豊富とは言えず、総合病院で直接医師から詳細を告げられるまで、頭が真っ白になりながら過ごしました。
 現在娘はとても元気であるという事実を先にお伝えし、当時の体験談を綴ります。

産後ハイからのどん底

 出産を終え、自室に戻ってようやくゆっくりと過ごしながら、我が子に会えた嬉しさで有頂天になっていた晩、看護師さんが突然やってきて言いました。
 赤ちゃんの喉のゴロゴロが気になること。
 ミルクは飲むけど、やっぱり戻してしまうこと。
 吐いてしまうことは新生児にはよくあるとは言え、酸素濃度も急に下がることがあって、すぐに回復はするけれど、気になるから念のため調べてもらったほうがいいかもしれない。
と。
 
お産自体のストレスもあるかもしれないけれど、と言いながらも、夜間診療をやっている病院を探してくれる、とのことでした。

詳しいことはまだわからないのに、自然と涙が溢れました。
元気に生まれたはずの我が子が、何か問題を抱えているかもしれないと思うと、心臓が握りつぶされる様な思いでした。

 

大学病院へ搬送されるまでの時間


 その後すぐに搬送先の大学病院が見つかり、ドクターカーが迎えに来ることになりましたが、筆者は出産直後である為同行の許可がおりませんでした。
 ということで夫に同行してもらうことに。夫もその頃、娘が無事に生まれた安堵と長時間の立ち合いの疲れでうたた寝をしていたようですが、夜の12時頃に突然電話がかかってきたものですから、何かあったのかと察したようです。

 筆者は涙を堪えながらことの経緯を説明しましたが、動機がして、気も動転して、うまく伝えることができなかったのを覚えています。夫を待つ間に部屋に運ばれてきた娘はとても元気そうに見えました。やっぱり可愛くて仕方なくて、そんな娘を見ていたら、益々恐怖に襲われていきました。

 この小さな体のどこかに、異常があるのだろうか。
 元気そうに見えるけれど、実は苦しんでいるのだろうか。
 まだお腹にいたかったのに、誘発で無理に生んでしまったのがよくなかったのだろうか。

 娘の手には酸素濃度を表示するモニターがつけられていて、90以上が正常のところ、たまに80、70、60と下がっていき、警告音が鳴ります。

 その警告音が異様に恐ろしくて、思い出すだけで胸が締め付けられます。
 でも、数値はすぐに90以上まで回復するのです。

 「こんな風に、たまに下がるから心配で。でもすぐに正常値に戻るの。念のため調べたほうがいいと思うけど、うちでは調べられないから。お母さん心配やろうけど、精密検査してもらったほうが安心やと思います。」
と、看護師さん。

 そんな中10分程で夫到着。

 ドクターカーが来るまでの間、部屋で娘と3人で過ごしました。

「よかったら抱っこしてあげて。」
そう看護師さんに言われ、まだ慣れない手で小さな娘を抱き上げたら、涙が止まらなくなりました。

「私が無理やり産んだからかな・・・」

思わずそう言ってしまいました。まだお腹のなかでのんびりしていたかったのに、42週に突入しそうで、誘発分娩で無理やり陣痛を起こしたから・・・?

 明日からお世話の仕方を教わって、親子として娘と頑張る日々が始まるはずだったのに、もうすぐ離れ離れになる。

 何もないと信じたい。
 検査して、何ともなかったね、よかったね。そう言っている私たちを必死で想像しました。
 でも同時に、最悪の想像もしてしまうのです。

あっという間に搬送された娘。一人取り残された筆者

 そうこうするうちにドクターカーが到着し、娘は搬送される準備の為詰所へ運ばれて行きました。

 準備が整い、見送りに詰所前まで行くと、体を温めるための青いライトがついた保育器の中に、訳も分からずキョロキョロする小さな娘がいて、その光景そのものがすでに病気の赤ちゃんであることを裏付けているように思えて、また不安になり、涙が出そうになりました。

 病院の前には救急車が止まっていて、夫に付き添われて娘は運ばれて行きました。

 外は秋が始まって、染みるような寒さ。あの時の風の匂いは、今でもよく覚えています。

 妊娠中、検診の待ち時間に救急車で運ばれていく赤ちゃんとご家族を何回か見て、大変そうだなー、と他人事にように思っていたけれど、まさか当事者になるなんて。

 看護師さんと一緒に救急車を見送って部屋に帰った後、なんとも言えない不安にかられて、ベッドの中でじっと天井を見つめていました。

 今、どんな検査が行われているんだろう。
 娘、泣いていないかな。
 酸素濃度が下がって、緊急事態になっていたりしないだろうか。
 夫は、どんな気持ちで付き添っているのだろう。

 妊娠中のことを思い出したりもしていました。

 思いがけず妊娠がわかって、でも二人ともすごく嬉しくて、次の日からいつもの景色が違って見えたこと。

 まだ指先よりも小さいけれど、確実に自分のお腹の中で命が生きていると思うとたまらなく愛おしくて、私たち夫婦に最大の楽しみを与えてくれたこと。

 仕事をしながらも心の中で何度も話しかけて、一人で幸せに浸っていたこと。

 街でも赤ちゃんや子供に目が行って、この子もいつか産まれて来て、ベビーカーに乗せて街に出たりするのかと思うと、楽しみで仕方なかったこと。

 幸いつわりもほとんどなく、退職まで仕事もでき、ずっと標準より小さめではあったけれど順調に育ってくれていたのです。途中31週で切迫早産と診断され1週間入院し、退院してからも、産まれないように産まれないように安静に過ごし、ようやくそれなりの大きさに育ってやっと産むことができた娘。

 出産した夜は幸せに包まれて、安心して眠る想像しかしていなかったのに、まさか大きな心配を抱えて眠れない夜になるとは。


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