二丁目のゲイバーで入店断られて寂しかったけど、今は笑い話

トランスジェンダーの女性がレズビアンバーのイベント入店を断られて差別ではないか、というニュースを見て、「うーん」とうなった。

私も、年に一度くらいゲイバーやゲイカラオケ、ゲイクラブに出かけることがある。必ず、ゲイの友人2人以上に同伴される形で。
好き好んで「連れて行って」と言ったことは一度もないし、「行きたい」と進んで思うこともない。そういった場所が楽しいかといえば、そうでもない。そこで友達になった子も何人かいるけれど、自分の場所ではなく、同伴者たちの顔(ママやオーナーと親しい、本人たちが美青年)などのおかげで女の私も入場を許されているなあと思う。

今でも笑い話にしているのが、何年か前に、彼らが二丁目のあるバーに私を連れて行こうとしたときのこと。
「ちょっと待ってて、ママにあんたが入れるか、きいてくるから」
彼らはドアの中に消えて行き、夜の二丁目のバーの前で待つことしばし。ドアが少しだけ開き、ひとりが顔だけ出して
「ごめーんやっぱり女はダメだって。じゃあねー」
文字通り締め出され、取り残された私はとぼとぼとひとり、新宿駅に向かって歩いて帰りました。
あの時は、なんだかとても寂しかった。入りたかったわけではないんだけど、彼らには彼らだけの場所があって、そこのドアに入ってしまえばもう私のことなんか「自分で帰れるでしょ?」と気にも留めないことが。
ダメなものは駄目なんだから仕方ない。
だから、いまだに私は大げさに恨み節を展開して彼らをののしる。
「あの時の、ドアから顔だけ出したあんたの笑顔!憎々しいわー思い出すだけで」
彼らは涙を流して大笑いする。

あの当時はまだ、LGBTという概念や単語は聞いたことが無かった。差別は、彼らが家族から受けている話は聞いた。カミングアウトをしたら父親が口をきいてくれなくなったとか、母親が親戚を総動員して女性を紹介してくるとか。

それが辛いと、彼らは時々言っていた。

社会、会社、学校や友達から差別的なことはされていなかったと思う。それは彼らが学歴や飛びぬけた特技を身に着けていたし、みんなおしゃれで綺麗な顔とスタイルをしていることもあって、しっかり社会を渡り歩いていたからかもしれない。

私は、そんな彼らのコミュニティにゲストとして招かれる立場だった。容認されているだけだと、ママやオーナーの立場で他のゲストや店の雰囲気を守るために「NO」と扉を開けてもらえない場所もあることを知ってから、気づいたことでした。

ドレスコードのあるレストラン、12歳以下は宿泊できないホテル。「どうして入れてくれないの」「差別だ」と店先で騒ぐのは野暮というものだろう。店やホテルがマーケティングをして、箱のコンセプトを打ち出すのは当然のこと。ゲストはその場所の心地が自分の場所かどうかを選定して、楽しみに行く。

たとえば、トイレを使わせてもらえないとか、食事を分けてもらえないとか、そんな人間としての基本のこと、人道に反することで差別をするのだったら、私は断固として抗議する。

でも、娯楽の場ではどうだろう?
私がその場所にそぐわなかったら、ちょっと寂しいけれど、やっぱり引っ込むと思うの。その場所にふさわしいレベルに自分を持っていくか、別の、自分の居場所へと移動していくかな。文句なんか言えない。恥ずかしいもの。

ドレスコードの厳しいクラブに破れたジーンズを履いて来た超有名アイドルがセキュリティに入店を断られたという話を聞いて、みんなで手を叩いて笑ったことがあった。ざまあみろって。残酷な若さだった。でも、どんなに有名なセレブレリティでも、その場にふさわしくなければ断る店の毅然とした対応もかっこいいよねと、その一件からその店はますます神格化していった。
彼女は、自分ならどんな場所でどんな服装でも許されると思っていたかもしれないし、これまではそうだった。彼女をはじめ、有名無名にかかわらずモデルがちやほやされ優遇される場面なんて、東京ではいくらでもありました。悔しいと感じたけれど、仕方ない。「美人にばっかり優しくして!差別だわ!もうこんな店こない!」なんて、私は言えない。

見た目やドレスコード。

判断基準は難しいかもしれない。
だからこそ、ママやオーナーが決めるんだと思います。
楽しみに出かけるエンターテイメントな場所、もしかしたら恋愛のチャンスに巡り合えるかもしれない場所と「差別」という言葉は、とても遠く、相反するものじゃないだろうか。

私も、日本人だからというだけで差別をされたり意地悪をされたことは何度もある。でも、「ふーん」「ばかみたい」「あらあら」と思う程度。度が過ぎれば「もう一回言ってみて?はい、もう一回?」とあおりながら笑顔でグイグイ近寄って行ってみたり、「うるせえぞトンチキ野郎」と3か国語くらいで怒鳴り返したけれど、やっぱり、別に気にしない。知らない人から差別されても全然気にならない。

先にも書いたけれど、家族から冷たい、苦しい対応をされることほどの辛さに比べたら、全く痛くもかゆくもないものだと思います。