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死にたい、曖昧な幸せの最中に

死にたい。このまま。
私は幸せすぎるんだ。享受しきれる幸せを、今手いっぱい腕いっぱい胸いっぱい抱えている。

将来の夢がわからないなりにも就活し終えた。私を好きだって言ってくれる人がいる。家族は健康で、祖父母もいる。友達も相変わらず元気で、遊びに誘ってくれる。尊敬できる大人にも出会えた。

私にはこれ以上の幸せがわからない。今人生で、初めて幸せという言葉以外で形容できなくなった。



今までは「幸せ」という言葉が苦手だった。どうしても雑な言葉に感じるから。
強いて例えて言うなら「やばい」。良い意味でも悪い意味でも、どんな状況にも使える言葉。感じているすべてを単純な一言で、表現を放り投げたような。

でも、案外そんなことはないらしい。私は今、良いこと、嬉しいこと、感謝すること、善意、愛、健康、夢と希望、そんなことが積み重なって「幸せ」という言葉がぴったりだな、と感じてる。


こう思えることが幸せなんだきっと。私の世界の受け取り方が少しずつ柔らかくなっていって、きっと気が付くことが出来たんだ。


この先、悲しいことが待っている。だって今、人生の浮き沈みのグラフがあるなら頂上に近い、もしくはもうすでに頂上だ。私はこの先やってくる悲しみに耐えられる?幸せを自覚してしまった以上、これから必ずやってくる、嫌なこと、苦しいこと、悲しいこと。乗り越えられる自信なんてない。怖くなる。きっと泣いて、苦しくて、傷つく。それならいっそ、幸せの値が最大かはわからなくとも、幸せなうちに死にたい。次の悲しさ、次の幸せなんて待ってらんない。


好きな人に抱きしめられて、この世界からはさようなら。

けど、君が居るなら悲しみはきっと霞んで。

ね、あとは君が悲しむところなんて見たくないから。

この世界で君といきたい




ps.2か月も下書きで放置していた。

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