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思い出の再定義をしよう

おもい‐で〔おもひ‐〕【思い出】

1 過去に自分が出会った事柄を思い出すこと。また、その事柄。「思い出にひたる」

(コトバンクより)


 早速だが、思い出に思いを巡らせてみてほしい。楽しかった出来事を思い出しては、「あぁ、良い思い出だな」と過去を懐かしみ、思い出に浸ることがしばしば私にはある。別に未来に対して悲観的なわけではない。ただ、過去は思い出すたびに美化されていて、どうも私を支えていように思える。


 ――高3の夏。私は大学受験希望だったが、我が家はそこまで裕福ではなかった。学校で勉強し、冬から塾に通った(ありがたや)。夏休み、私はAO入試の友達とともに、野球部の練習する声が聞こえる教室で勉強していた。毎日、1時間半かけて行って、1時間半かけて帰宅していたのである。息抜きに、近くのコンビニでアイスを買って食べた。一時期抹茶アイスにハマり、ずっと食べていた。
 あぁ、懐かしい。高校生のときの経験は、全て思い出と化した。今でも抹茶を見るたび、人生で一番熱かった、あの夏を思い出す――

 まさに「思い出」。過ぎ去った過去であり、眩しい青春である。当時の私にはこんなにも「良い思い出」になるなんて思ってもいなかったし、むしろ暑い中遠い学校に行くのは辛かった。がむしゃらに生きていただけだったのに、気が付いたらもう二度とない経験になっていた。

 大抵の経験、出来事は思い出す(思い返す)ことで思い出となる。忘れてしまえばそれまでのこと。思い出は脆く、儚い。ある時までは思い出だったことが、突然思い出せず闇に葬られることもある。
 「思い出」は思い出さない限り、思い出にならない。当たり前のようで、今まで気が付かなかった。

 また、一つ、ちょっとした人生の出来事を思い返してみよう。

 大学生の7月、久しぶりのお昼ごはんを学校で食べた。オンライン授業で学校に登校することはほぼ無く、すごく貴重な機会であった。昼休みの時間目一杯使って、授業が終わった途端にカレーを買いに走り(ご時世的にテイクアウト)、真夏の日差しの中「暑い!!」と愚痴りながら急いで学校に戻ってきて、「時間がない!」など言いながら学校の広い教室でカレーを広げて食べたのである。スパイシーな匂いが立ち込める中、「暑い、熱い、辛い!」
 とっても楽しい時間だった。しかも、この出来事はこの先も覚えてるだろうな、最高の時間だな、と思いながら過ごした。「思い出の予感」があった。

 貴重な経験、楽しい時間であることを自覚しながら時間を過ごす。今までは、その出来事が過ぎてから思い出になったなぁ、としみじみしていたのである。なんだか目の前のことに全力なのとは違って、この楽しい時間が終わることを想像して空しくなる気持ち。

 思い出になるであろうと予感する感覚。不思議で、胸がもやもやする。楽しいのに、不安。今と思い出の間を埋めるもの。今がもう、思い出になりかけている。この感覚をわたしはずっと忘れないだろう。

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