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4.中村佳穂。拍手と雨と蝉。

2021年6月2日。私は中村佳穂のLINE CUBUのライブに行った。見た、というより目撃した。美しかった。何とも言えない気持ちが、今もずっと、なお、続いてる。

 ライブ会場はコロナのため、公会堂にて、席が決まっていた。座って見るライブは新鮮だった。
 座ると心が落ち着いて、中村佳穂を拝んでいるような気持ちになる。舞台と一線が引かれ、あちらに手は届かない。光り輝き、高く跳ねる音と光。崇高な気持ち。夏の、汗かきフェスじゃなかった。周りの人との一体感は求められず、聞き方は私たち一人一人に委ねられていた。そこが、私にっとてむしろ心地よかった。

 私は、お祭りの和太鼓の心臓に響く音が好きだ。(ただし、バイクとか大きな騒音は、周り構わず耳をふさぐほど苦手。)コロナでお祭りもライブもないから、低くて大きな音を聞いてない。そんな中で、一人、静かに座って見るライブはひびの入りかけた心を埋めてくれた。言葉の通り、心に響く音は、私を揺らした。

 正直、初めて中村佳穂をみてファ~とか思っていたらライブは終わっていて、あまり詳しいセトリは覚えていない。ずーっと目がウルウルしていて、泣きっぱなしだった。


 よし。ここからはきちんとライブの感想・回想をしよう。まず、グッズ売り場に開場の1時間半前に行った。以前、Suchmosのライブで並びすぎていてグッズを買うのを諦めた反省を活かして、大いに気合を入れて向かったのだ。・・・なんと中村佳穂のグラフ販売には誰もいなかった。そうか、キャパ考えたらそうか、なんて納得しつつ。グッズは事前に分かっていたので決めていたのだが、結局予定よりも買った。だって、素敵すぎる。本当に好き!!!貢がせろや!!!と会場入った瞬間思っちゃった。ここ中村佳穂が空気吸った場所!??ねえ!!なんて終始興奮していた。そう、オタクって楽しいんだ。
 私が買ったのはトラベルバッグ。今の時代、物に願いを込めるのも悪くないだろう。(ピューウ♪)

 ライブの途中で、中村佳穂だけのピアノソロステージがあった。私はピアノのコンサートに行った経験がなかったから、大変衝撃を受けた。感動という言葉は陳腐だが、それが良い。と同時に、苦しくなるほど羨ましくなった。私には自分を精一杯表現する方法を持ち合わせていない。絵を描くとか、音にする、とか言葉にする、とか。中村佳穂の身体から編み出される音楽が、ピアノを通して、おそらく言葉にするより直感的に私たちのもとへ届いている、と強く感じた。
 言葉は、面白い。ずっとそう思ってきた。だから、こうやってnoteを始めた。けれど、最近は「平だ」と感じることも増えた。例えば、咲きかけの蕾を見たとする。柔らかな、薄い桃色の膜が何枚もこちらを覗いている。私は見た瞬間、「綺麗だな、ワクワクする」とだけ感じたのである。ん、待てよ、と。なぜ?どこが?綺麗でワクワクってなに?私の平たい「言語化された」感想に対して、疑問が沸々してきた。この瞬間、私は満開の花を想像したのだ。蕾から伺い見れる未来が、私をワクワクさせたのだ。

 時々、私は言葉によってその大事な思考のプロセスを無視してしまう。しかし、私が美しい、綺麗、楽しい、とかいう感情の根源はむしろそこにある。私の感性を研ぎ澄ませ、言語化していきたい。

  ライブの中盤に差し掛かったあたりから、なんと中村佳穂オンリー!痺れたなあ…ピアノと縁遠い生活を送っていた私は、ピアノの演奏をきちんと聞いたことがなかった。ピアノ、すごいな。歌とピアノ。2つで、ここまで自分の表現が出来るのか、と驚いたし、聞き手としてもこんなにワクワクするのか、と衝撃だった。

 感動しただの、美しかっただの言っているけれど、終始ほんっとうに楽しかった。中村佳穂の楽しんでるのが伝わって、会場を包んでいた。一人残らず。ぜひ、体感してほしいな。音楽ゥ~!って感じだから。(チケの倍率は上がらんで欲しい)

 ――ライブが終わった後の拍手は、本を読んでいるときに、室内から聞く、降り注ぐ雨の音だった。拍手は、真夏、ふと森に入って日かげに入った時に振ってくる蝉の鳴き声だった。
 もう、2か月もたつのに、未だに見終わった後の興奮は冷めやらぬ。一生の宝物。


 ps,中村佳穂主演の「竜とそばかすの姫」も見たよ。とっても素敵な歌声だった。たくさんの人をこれからも感動させるんだろうな。

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