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正しい正しくないを決めないと死ぬ




サカナクションの武道館のライブ、諦めた。当たってから3か月、もっと言えばサカナクションのファンになって以来、ずっと楽しみにしてた。私は重症化する確率が低い年齢だし、コロナが比較的収まっていたときはライブに行ったこともあった。ただ、今回だけは、タイミングが悪かった。
ずっと悲しいし、怒りもあるし、ムキになって生配信のチケットあるのに買わなかったし、サカナクションの曲聞きたくないし。幼稚だけどどうしようもない自分。

じゃあ行けばよかったじゃん、っていう自分もいる。だって、大半は行ってる。

母に、「この時期にライブか…まあ自分で決めなさい。」って何か含んだように言われた。はあ、またその言い方か、と嫌な気分になりつつ「分かってるし」と思う。父にコロナを移したら大変なことになる…というか家族は崩壊する。わかってる、わかってる、私は正しい決断をした…そう繰り返しながら私はチケットを夜な夜な手放した。

すごく悲しくて、何もやりきれない。けれど、心の中のもう一人がこう囁く。「行けばよかっただけじゃん。別にコロナなんて罹らないでしょ。罹ったって若いし。まだ悲しんでるのって、悲劇のヒロイン気取り?」 これもまた私の本心。別に行けばよかったと思う。だって、周り魚民だよ。マスク外して叫ぶ人なんていないし。電車なんかよりずっとマシだと思う。行って罹ったとしても無症状で済む。というか多くの人が無症状で自宅待機なんだし、せっかくの武道館の経験のほうが大事じゃね?とも思う。

本心はどちらでもないし、どちらでもある。どっちの気持ちが本当なのかわからない。どっちも本気で思ってる。

じゃあ仮に、ライブを諦めて、家族の感染リスクを気遣ったことを誰かに言って、めちゃくちゃ褒めてくれたとしたらどうしよう。…多分一瞬嬉しくなった後、虚しくなる気がする。ということは、誰かに褒められるために諦めたわけじゃない。多分。

こうやって悩んでると、2020の夏あたりだったか、思い出す。私はクソ真面目に引きこもってるのに、弟は遊び呆けている。父も母も、何も言わない。なぜなら、怖いからだ。弟は私と違って激しい暴力、自傷、精神的におかしくて家族もおかしくなった。私は受験の苦を言い訳に逃げていた。帰れば誰もが死んでいた。本当に辛かった。
次第に落ち着いてきたが、弟の機嫌取りで他人をコントロールする態度は今でも続いている。親は何も言わなくなった。親は私に対して、弟の心配事を愚痴る。私が「直接本人に言えばいいじゃん?」と言えば、父は「面倒だから」と。
そんなこんなで、コロナの時期に遊び放題の弟には何も言わない。

だから何なのか。私は私だけに言われるのが嫌なのか。巡って考えてみると、これもなんだか幼稚な怒りだなあ、と思う。不公平な扱いを受けている!って怒ったところで、親が我慢して家族の雰囲気が悪くなるほうが、私にとって害になりそうだ。嗚呼幼い。けど、モヤっとする。

今の状況もほぼ同じ。私はライブに関して母にグチグチ言われたものの、弟は外泊、集団で遊んでる。弟に対しても腹が立つし、自分に対しても腹が立つ。

だって、別に弟みたく迷惑かけながら生きたっていいのに。それが出来ない自分が嫌だ。かといって、イキって迷惑かけながら生きていくのも嫌だ。誰にでも優しくありたい。これは…不登校の一種と同じなのでは?と思う。吉本ばななの「体は全部知っている」で読んだ。行きたいと思っているけれど、できない。あ、同じかもしらん。


もうほんと世の中クソくらえだ。自分のことしか優先しない奴に対して劣等感を抱くなんて。もっと強い法があればいい。私の良心と悪心を戦わせないでくれ。私の良心が勝つように、自粛しないやつらには罰金でもしてくれ。

外で遊んでいる人への羨ましさと、家族を守るための行動。何を一体私は天秤にかけている? サカナクションの歌を思い出す。

「正しい 正しくないと 決めたくないな」

そんな甘ったるいこと言ってられるか。私は正しいと肯定してくれ。別に思ってなくてもいいんだ。

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