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読解『おもひでぽろぽろ』 part 4 ハンガリーの百姓?

■ハンガリーの百姓?トシオの勢い

 現在:山形

 山形駅に到着したタエ子。カズオのまたいとこのトシオが彼女を迎えにくる。トシオがタエ子を乗せた車にエンジンをかけると音楽が流れてくる。

タエ子:めずらしい音楽ですね
トシオ:ハンガリーのムジカーシュっていう5人組み

 ヒューー!ハンガリーですって!トシオ曰く、その音楽は百姓の音楽で、自分も百姓だから好きなのだそうだ。

 トシオはこの時、遠い海外の人間を同じ”こちら”側だとしている。ハンガリーの人間を同じ百姓」などと言ってしまうのだ。

 タエ子も農家”あちら”への憧れを抱いてそちらに入りたいと思っているが、それはあくまで東京”こちら”からみた憧れだ。
 しかし、トシオのそれは”あちら”を”こちら”に引き込むようなところがある。“あちら”と”こちら”を「同じ」にしているわけだ。ここには他者への無遠慮も感じられる。

 しかし、トシオのそんな乱暴さにタエ子は気づかない。なぜならタエ子はタエ子で農家”あちら”をひとくくりにしているためだ。それは「かっこいい百姓」の感性なのだ。(ハンガリーの音楽を聴くトシオは「ビートルズは歌詞がいいのよ」というナナ子と同じ)

 トシオのこの乱暴さはこの後も度々顔を出すし、その乱暴さが功を奏すことがある。(こういうところが高畑作品の面白いところ)

 車内の話は紅花にうつる。タエ子は紅花を摘みに来た理由は物珍しいからと答える。こっち:山形の人には珍しくないかもしれないが、と付け足す。しかし、トシオは言う「とうに廃れた名産品ですよ。名前ばっか有名で。うちでも作ってないし」。
 つまり農業の当事者にとっても”珍しい”ものなのだ。タエ子は農業の仲間入りをしたいと思っているのに農業にとって”珍しい”紅花摘みを選んでいたことになる。こういったところで、タエ子の”あちら”への感度の鈍さが立ち現れてくる。それは憧れている故の鈍さなのだ。

 タエ子は”映える”紅花を選んでいた。対して”こちら”の人たちの映えない実情が語られる。「百姓にとってはただの作物。昔の花摘み娘たちは一生にいっぺんも紅なんかつけられなかった」。

 車内での話は続く。トシオが「生き物を育てるのは大変」というと、タエ子は「畜産の方?」と言う。植物も生き物、だというシンプルな言葉が”あちら”のタエ子には伝わらなかったのだ。
 トシオがその誤解に対して「イネだってなんだって生き物ですよ。こっちが好きで一生懸命面倒を見てやると、作物の方も頑張ってくれる気がする」(トシオは作物を人間側に引き込んでいる。)
 タエ子はその言葉を聞いて一考。トシオが恥ずかしがって「カッコ良すぎたかな?」とおちゃらけると

 いや そんなことない… 分かるような気がするわ

 おそらくわかってない。けど表面上わかったことにするのだ。表面上だけ私も”こちら”ですよ、というポーズをとる。

 その後、色々講釈垂れたトシオが告白。実は自分はまだ百姓としては駆け出しとのこと。

うん んだから威勢のいいこどが 言えるのかもしれないけど
必要なんですよね 勢いが

つまりトシオ自身はまだ農家に同化し切れていないのである。
“こちら”にいるはずだけど、まだ完全にその中に入れていない自覚がある。
トシオにとってはまだ”こちら”の中に”あちら”がある状態なのだ

 だから、自分をわざわざ「百姓」と言ってみせたり、「海外の百姓」の音楽を聞いてみたり、(後程描写されるが)有機農業についての先輩の受け売りの言葉を喋ってみたりするのだ。形から入るタイプ。でもそれを自覚していて「勢いが大事」と言うのだ。この”勢い”がトシオのもつ”あちら”と同化する粗暴さなのだ。

 こうみるとタエ子とトシオの会話は、“田舎に憧れる東京人””百姓になりたい田舎人”というなんとも珍妙な関係でできてるのだ。二人の絶妙なチグハグ具合も納得がいく。

 この後は、後々響いてくる有機農業の話になる。有機農業は自然の力を人間が手助けする農業だと語る。これは自然という”あちら”との共同作業でもある。トシオはそれを「かっこいい農業」だと言う。

 この後はルーマニアの音楽とともに山形の景色を眺めるという不思議な時間が流れる。合ってるようにも聞こえるけど、やっぱり合ってないようにも聞こえる。トシオがおこなっている海外への百姓同化が映像演出になっている。見事。
 このシーンがすぐに珍妙に見えないのは鑑賞者が農業にもルーマニアにも興味ないからだ。自分の地元の景色にルーマニアの音楽が当たっていることを想像してほしい。ルーマニアが地元じゃない限りおかしいでしょう?(ルーマニアが地元でもおかしいと思う人もいるでしょうね)


■紅花摘み”体験”

 無事、紅花農家に到着。カズオ、キヨ子、ばっちゃん、が「貼り付けた笑顔」東京”あちら”のタエ子を出迎える。

タエ子の姉の夫の兄「カズオ」

 もんぺを履いてるタエ子に対してばっちゃん「タエ子さんの方がよっぽど本格的だ〜」作業に入る前にトシオが突然写真を一枚!コラー!これは完全にアミューズメント農業なのだ。外部の人が楽しむ農業

 まだ”東京のタエ子””山形の農家”は表面上でのコミュニケーションに留まる。なぜなら互いに互いを”あちら”と”こちら”と区分して考えているからだ(タエ子に関しては意識的にでなく、無意識的に「憧れ」と言う動作で自他区分をしている)。
 境界の侵犯はまだ許されない。

 紅花の解説がてら、タエ子の農業姿が描かれる。作業の途中で写真をとったり、染色体験をしてみたり、荷台に乗って麦わらを顔に被せてみたり。そしてタエ子のモノローグ。

私は快く疲れ 遠い昔の花摘み乙女の身を上を思った

 やはりこれはデトックス労働なのだ。”東京”での仕事では「快く疲れ」ることなんてできないのだろう。憧れの”あちら”の世界に行ってこそ気持ちよく労働ができるのだ。

 ”あちら”と”こちら”の境界の侵犯については、この後に描かれるタエ子が父にぶたれるエピソードで立ち上がってくる。


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