見出し画像

読解『おもひでぽろぽろ』 part 2 スケベ横丁の初恋 「同じだ!」

■タエ子、男子との共同作業?

 過去:東京 2月

 タエ子は給食のナマスが嫌いでパンに挟んで残してくる。母は「こんなことしたらもう食べられない」と三角コーナーに乱暴に捨てる。「勿体無い」といいつつ。

 場面は変わって教室。給食の時間。タエ子はナマスは嫌いだがミルクは飲めるらしい。ぐいぐいと一気飲み。ミルクが嫌いな隣の席の男子スーはそれを見ている。
 彼らは契約を交わす。スーが嫌いなミルクをタエ子が飲む。代わりに、今後タエ子の嫌いな物があったらスーが食べる。という具合だ。手始めにタエ子とスーは周りに気づかれないように自分たちのミルクを交換する。

 ここでタエ子は男子(あちら)と手を組んで問題を解決しようとしている。これは"あちら側"の人間との"共同作業"と見ることができる。まだまだこの段階では些細な描写に見えるが、全体を通して見ると意味のある描写に見えてくるだろう。"共同作業"については今後、立ち上がってくる。

 給食談合のあとは学級会である。ここでは男女の対立が描かれる"あちら"と”こちら”の対立だ。廊下の走行についての議論で男子とツネ子が対立する。男子はツネ子に言いくるめられる。
 その後、ツネ子は「ベトナム戦争がうんたら、食べれない子供がいる」と給食を残してはいけない、といい出す。(ツネ子は”あちらの世界”の状況と”こちら世界”を混ぜている)
 不平不満をいうのは男子。女子はツネ子の意見に賛同するようなことをいう。タエ子は給食を残す張本人なので”女子側”につくわけにもいかない、なんとも微妙な位置に置かれてしまう。

こう見ると、スーとの共同作業男女間対立”あちら”と”こちら”の中での密会、密談のように見えてくる。対立する”あちら”と”こちら”にいるそれぞれ二人の個人が、食べ物の好き嫌いによる得手不得手を補う”共同作業”をしていた。


■スケベ横丁の初恋 「同じだ!」

現在:寝台列車

 タエ子は列車の席の中である思い出を思い出す。

過去:東京 1月

 他のクラスの女子がタエ子の元にやってきて「広田くんが岡島さんのこと好きだって」と言い放って笑いながら逃げていく。スケベ横丁というところにタエ子と広田くんの相合傘が書かれていることがわかる。この時、タエ子は広田くんのことを知らない。
 その後、人伝てに広田くんが野球が上手いということを聞く。話したこともないのに。あちらへの憧れが膨らみ始める。(熱海の風呂と同じ)

 クラス対抗の野球試合。広田くんのクラスとタエ子のクラスが試合をする。相手のクラスの女子は「岡島さんが見てるよー」と広田くんを揶揄する
広田くんもタエ子も顔真っ赤。男女意識をいやでも植え付けられている。(時代的な要素が強いと思うが、男子がプレーして女子が応援、というふうな男女でのグループ分けもされている。)

 広田くんはピッチングでもバッティングでもファインプレーを見せる。
タエ子はその広田くんの勇姿をみて、緊張によりトイレに5回もいったとのこと。
 ここでトイレというのは重要であり、トイレとは「男女を分け隔て互いに互いのスペースに入れない空間」なのである。「”あちら”と”こちら”の侵犯が許されない空間」なのだ。

ピンク色の扉の向こうには特定のグループの人間しか入れない

 タエ子は広田くんが活躍する姿をみるたびに自分の女(おんな)性を意識する。女子トイレにいくことでより自分のグループを意識する。女性がタエ子にとっての”こちら側”になっていく。

広田くんの活躍もあり相手側が勝利する。ツネ子は負けた自分たちのクラスの男子を咎める(対立)。相手クラスの女子が広田くんに「岡島さんと話してきなよ」と彼をタエ子の方へ連れてくる。タエ子はどうしていいか分からずに「先に帰る」と逃げ出す。

 トボトボ歩いていると前の角から広田くんが現れる。広田くんはタエ子をじっと待ち伏せする(結構怖い)

気になっている相手だからいいけども…

 タエ子はそーっと角を曲りやり過ごそうとすると、彼が話しかけてくる。どもる広田くん。顔を赤らめる。

あ、雨の日と! くもりの日と晴れと どれが一番好き?

 これが初会話。タエ子もよく知らず広田くんへホの字だが、広田くんもまたタエ子のことをよく知らずに好きなのだ。(パイナップル)
 タエ子は彼の質問に答える。

くもり

すると彼は嬉しそうに言う。

あ おんなじだ!

 ストライク!好きな物が同じだった。二人は通じ合った気がしたのだろう。それ以上喋らずに浮かれて帰路に着く。タエ子なんか文字通り宙に舞う。キラキラ少女漫画の目で家の外にはバカみたいなハートが浮かぶ。

正しく少女漫画の目

 熱海のシーンよりもキラキラEYE。熱海の風呂でも広田くんでもトキメキの空想を広げていくのがタエ子という人間なのだ。

 しかし、そもそもなぜ同じだと良かったのか。それは二人が同じグループ、お互いに”こちら側”にいることがわかったからではないか。憧れのあの人と同じ傘の元(相合傘)にいることになったからだ。

 この「同じ」と言うワードは今後も多々出てくる。何かを「同じ」と言うときに人はその何かを”こちら”に入れている。そこには”あちら”を飲み込むような暴力的な側面もある。この点は後ほど。

 戻って

 27歳、現実のタエ子。思い出し恥ずかしウフフ。ここは家のベットでのシーンなので、寝台列車の中ではないことに注意。つまりタエ子はよくこの思い出を反芻してはキャッキャしているということ。

 そして、とうとう話題は生理に移っていく。生理は男女のグループ分けを明確にする。


次回


生活し創作をしたいのでお金が欲しいです。記事面白かったらぜひ支援お願いします!