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読解『おもひでぽろぽろ』 part 10 贖罪の演技

■トシオの”勢い”再び

 現在:山形

 タエ子があべくんに握手をしてもらえなかったことを聞いていたトシオ。あべくんはタエ子さんのことが好きで、別れたくなかったんじゃないか、と彼は言う。タエ子は、あべくんの好きな子は別の子で、私にはいつも攻撃的だったと。そこに、トシオは伝家の宝刀を降ってみせる。

あべくんの気持ぢ わがりますよ

 これまでも何度か彼が言うセリフである「わかる」。彼は今あべくんを自分の中に取り込んでいるのだ。彼は、好きな子にはいじわるしたくなる、自分もそうだったと言う。
 タエ子はそんなことじゃない。私だけ握手をしてもらえなかった、と反論するも、トシオが頑固である(今までの分数、演劇の会話でも、タエ子がそんな真面目じゃない「違う」と言っても聞かずに、自分の話と「同じ」だとし続けていた)。

これだから困るな女の子は 男の気持ぢ 全然わがらないんだがら

 ”女:あちら”にはわからない”男:こちら”の共通理解、当たり前、秘密があるんだと言ってみせる。「知ったかぶりして」と言うタエ子にトシオは続ける。
 あべくんがタエ子にだけ乱暴な態度を見せていたことは、タエ子に甘えていたからだ、と。「お前とは握手してやんねぇーよ」と言うのも、タエ子に本音が出せたと。表面的な言葉、行動でなく、自分の気持ちをそのまま表現できたと。

 トシオはあべくんを”男:こちら”として同化してあべくんの気持ちを代弁してみせた。タエ子にとってはわからない彼の”本意”、正確には”本意と思われるもの”をトシオは語ってみせたのだ。

 実際トシオは「知ったか」している。会ったこともない他人について、「こう考えていたんだ」とやや断定的に語っている。タエ子から聞き齧ったあべくんの描写で、”勢い”であべくんを自分と同化して”本意と思われるもの”を語った。それはタエ子にとってはいい薬になった。


■贖罪の演技

 タエ子はトシオの言葉を聞いてあべくんの姿を思い出す。

 過去:東京 夏休み前

 商店街、父に手を繋がれ歩くアベくん。タエ子の存在に気づくと急に父の手を離し、ポケットに手を入れて唾を吐く。この動作は彼がタエ子に強がる時の動作である。それは彼曰く”大人”の仕草なのである。
 すると彼の父が「汚いことするな」と彼にゲンコツをくれる。実際、それは大人のやる動作ではないのだ。あべくんはあべくんなりの大人像で持ってタエ子に強がりをしていた。
 父にシャツを掴まれて遠くなっていくあべくんの姿をタエ子が見送る。

 彼に後ろめたい気持ちを覚えたタエ子は彼のその動作を真似る。ポケットに手を突っ込み、唾を吐きながら歩く。

 あべくんの演技をするのだ。
 「汚いこと」と彼の父が言った行為を真似て、どうにか汚いと嫌がっていた彼に同化しようとした。表面的なポーズをとっていた彼女は、演技によってあべくんのいる汚い”あちら”に自分も入ってみようとした。
 もちろん、演技をしたところで”あちら”に入れるわけではない。でもこれは贖罪なのだ。自分の罪をどうにか贖うための演技なのだ。手遅れかもしれないけども、同情ではない同化を図ったのだ汚いものへの同化。
 (前のエピソードで『ひょうたん島』を歌うことで歌詞に同化しようとしていた。シチュエーションが同じ商店街であることは偶然ではないだろう)

 あべくんは確かにタエ子との握手を拒絶した。タエ子の同情も気に食わなかったのも事実だろう。しかし、表面的な交友だったとしても、タエ子以外のクラスメイトの本物の拒絶に比べたら、実際嬉しいものだったのではないだろうか。
 タエ子の同情による、表面上の境界の侵犯”あちら”と”こちら”のファーストコンタクトとして功をそうしたのではなかろうか。

 そして、トシオの”勢い”による同化もまた、あべくんの拒絶についてのタエ子のトラウマを解きほぐすことに繋がった。

 さらに、タエ子の”軽薄な農業への関わり初め”もまた、農家にとって悪いことではなかったのではないか。だからこそ、ばっちゃんもタエ子に”こちら”にこないか、という境界越えを提案できたのではなかろうか。

 どんな時でも”あちら””こちら”が出会った時には、慎重な探り合いがある。しかし、それだけでは二つの橋をかけるのは難しい。橋をかける前に軽率に川を泳いで渡るような人間がいなければ、二つの集団に橋をかけるかどうかの話し合いをすることもできないのではないだろうか?
 もちろん境界の侵犯によってビンタされることの方が多いだろうが。


■それでも空想するのは…

 さて、あべくんトラウマがトシオによって解きほぐされた後、雨が止み外に出る。外には満月。トシオがそれを見て言う

この辺夜走っているど タヌキやテンによく出くわすんですよ

 もちろんまだ、タエ子は”外の人間”だ。だから珍しいだろうと思ってトシオはこんなことを話すのだ。身内にわざわざ話さない。この会話注意。

 そろそろ本家に戻らなくては。二人で車内に乗り込む。
 「(本家から飛び出したタエ子について)これはウワサになっちゃうなー」とやや嬉しそうなトシオ。本家で何があったのかは聞かないでほしい、と頼むタエ子。
 「田舎の音楽」かけますか?と言ってトシオがカーステレオを起動。もちろん流れるのは海外の音楽である。今度はイタリア。

 海外の音楽は憧れの音楽ですね。

 タエ子はその音楽を聴きながら思う。自分がトシオをどう思っているか、トシオが自分をどう思っているか、初めて考えようとしていた。年下のトシオ甘えることができたのはどうしてだろうか。

私が 今 握手してもらいたいのは…トシオさんだった。
握手だけ……?

 アベくんとはうまく交友ができなかったタエ子。トシオとならできるだろうし、したい。しかし、握手だけでいいのだろうか?
 握手はあべくんのお別れの際、タエ子以外のみんながやったことだ。それは一度きり、表面上の交友である。握手だけでは表面的なもので終わってしまうのではないか。それは今までと変わらないのではないか。では、どうすればいいのだろうか?(それはみんなで考えよう!)

 トシオとの未来に考えをめぐらすタエ子。彼女が二人の未来を想像する。空想する。さてそれはどんな景色か。

トシオとの未来像

 海外である。
 
馬の引く荷馬車に揺られて、干し草の上、二人で仲睦まじく座っているのだ。トシオなんか葉っぱ加えてる。

 トシオとの未来は”山形”の景色ではない。まだまだタエ子は夢見な憧れ少女から抜け出せていない。人はそう簡単に変わりはしないのだ。今この場にイタリアの人間はいない。遠い”あちら”に空想が広がっている。
 先ほど、ここいらじゃ出るのはタヌキやテンだと言われたばかりなのに。そう簡単に”あちら”と”こちら”は交わることはできない。

 ただ、この「海外空想」もまた、トシオが百姓に、タエ子が農家になるため、二人が”一つの家の元”に入るための”勢い”だと思えばいい。橋をかけ、共同作業するための第一歩目だ。

 初めは何にせよ”憧れ”から始まるだろう。



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