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なんのために読書をするか~いくつかの「知る」~


読書の秋ですね。

私は秋だからといって読書しよう!とはならないが気候がいいので読書が捗る秋は好きだ。

読書の秋、と言われると”読書”というものが浮き立って見えてくる。
読書とは何か。なぜ秋がいいのか。そんな哲学的な問いが夜長の闇でうごめくのが聞こえてくる。または高い空のそのまた向こうで輝いている。

が、今回はそんな哲学的な深い考察はさて脇に置き、もっと軽く「なんのために読書をするのか」というのを考えてみた。

せっかくの秋だから、本とかいうものを読んでみたいと思ってしてみんとてしたいけどどうやって本を選べばいいかわからない誰かの手助けになれば。


読書をするのはやはり「知る」ため。か。
知識だろうとストーリーだろうと何かを理解、見聞きするため。
では、私は何を「知る」ために読書するのか。

それは、
「知りたいこと」
「知っていること」
「知らないこと」
「知りたくないこと」
を「知る」ためだろう。


其の1:「知りたいこと」を知るため

これは一番ありふれた読書態度。「ほしいものが、ほしいわ」
食べたいものが食べたいし、見たいものを見るし、書きたいことを書くし、投げたいものを投げ、したいものをするのが人間と思いこんでいるだ。
だから「知りたいこと」を知る為に本を読むのだ。

この”「知りたいこと」を知る”は、単純に今興味のあることなど、気になっていることについての知識の穴を埋めるもの。知らないから知りたい。

仮想通貨について知りたいな、相対性理論について知りたいな、誰々の新作の内容が知りたい、流行ってる大正時代に鬼狩りする感動的なストーリーについて知りたいなどなど。

欲求を満たすための読書。健全健全。
これは殊更取り上げるような態度ではないかもしれないけど、他の態度との対比でも必要かと思ってわざわざ書きました。書きたいから。

しかし当たり前の態度だからこそ、これを自覚して本屋に行くと意外と選ぶ本が変わってくるかもしれない。あなたは自分の読みたい本を知ってる?


其の2:「知ってること」を知るため

これは確認作業。

知ってることを確認する為に読書をする。
今まで勉強をして得た知識を強固なものにするため、または再びあの素敵な文章と感動的な結末を味わうため。
「自分は間違ってなかった」というのは精神安定剤ドープである。

しかし、確認作業によって己が本当はそのことについてほとんど知らないということに気づくこともある。というかほとんどそうだ。
そう「知らないこと」。


其の3:「知らないこと」を知るため

これは私が読書をする上でもっとも重要な態度だと考えている。
私はほととんどこの”「知らないこと」を知るため”に読書をしているといって過言ではない。

そもそも「知らないこと」というのは知らないので、その場でいくら考えても自分の「知らないこと」を知ることはできない。

しかし、読書という偶然的な出会いの場に赴くことで自分が「知らないこと」というのが立ち現れてくる。

ブロックチェーン?ミンコフスキー空間?超越論的主観?ヘイマーケット?球電と親友になって別れる物語?悪魔になった主人公がハンバーガー屋に行く展開?

読めない漢字や、見たことない文法や文体。
全く自分の世界の外側にいたものとの邂逅。

これは暴力的に私に「知らない」という穴を穿つ。
この欠如は埋めなければいけない”知りたいこと”に変貌し、私を無限の読書地獄に引きずり込んでくる。

なので、”「知らないこと」を知る”為の読書はオススメしない。
そこから始まるのは永劫の戦いであり、いくら秋の夜が長かろうがその知識の穴埋め作業を終えることはできない。


其の4:「知りたくないこと」を知るため

これはなかなか難しい態度。積極的に取ることはかなり難しい。
私自身も、なかなか取れない。
そもそも知識の穴埋め作業に忙殺されている為「知りたくない」ことに割いてる時間はないのだ。あんな本読むかよ。

それに「知りたくないこと」を自覚するのはなかなか難しい。
し、自覚したとしてもそこに突っ込んでいくのはかなりの勇気がいる。あんな本読むかよ。

自分が抑圧している対象であり、克服するべきもの、または避けるべきものかもわからない。しかし、それは通り魔のようにあなたの背後でナイフを光らせる。

「ここで槍玉に挙げられている差別者とは、まさしく私ではないか」
「ここで言われている恋の終わりとは、あの子との関係そのものではないか」

ーそう言えばあんたの小説、女の子死んでばっかだもんな。ー
(『好き好き大好き超愛してる』舞城王太郎)

ズキ、創作者としていたいところ。突かれます。

これは先の”欠如”なんてナマ優しいものでなく、分断です。
パックリ一刀両断。こりゃ知りたくなかったなぁ。

知の第二法則によって、知らなかったあの頃にはもう戻れない。
だから、この傷を抱え込んで生きていかなければいけない。
これを修復するのには次にどんな本を読んでいいのかなんて分からない。

しかし、だからこそ、自分が一歩大人になる為に必要な工程だと思う。
「知りたくないこと」には目をつぶっていたいけども、その「知りたくないこと」こそ自分が向き合うべきものかもしれない、それは自分自身を写す鏡かもしれない。

できれば出会いたくなけど、出会ってみて、自分をコテンパンにして欲しい。なんてもの。それが「知りたくないもの」

んー、あの本読んでみようか。


おわり

「いくつかの「知る」に対することについて「知る」為」
として今回読書をする理由を考えてみた。

本を読みたいけど何を選んでいいか分からない、次にどんな本を読もうか悩んでいる人は、この4つの態度を基準にしてみてもいいかもしれない。

ちょろっと言及した本たちです。

ーーー

度肝抜かれた本。
日本の小説はあんまり読んでこなかったけど、タイトルに惹かれて。
文体も内容も傍若無人に思えるが、全体通しての細やかなイメージの連結によって提示されるテーマは素晴らしい。創作に携わる人間に読んで欲しい。


今読んでる本。球電(プラズマ?)と仲良くなるエピソードが出てくる。まだ半分もいってないけど、今のところ面白い。


ヴァンヴァアヴァアアーー!!!

ーーー

本を読むとはやはり他人と向き合うこと、そして自分と向き合うことに違いないと思う。思います。

秋は短し、読せよ All men。



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