重要な歴史教育が日本では他国と大きく異なっておかしなことになっている

歴史を学ぶということは過去の実際の出来事を学ぶことであり、今とは関係のない昔話を学んでいるわけではない。
「日本の四方八方の国々が日本の敵となって攻め込んで来たらどうするか?」「もし、日本がどこかの国の属国になってしまったら、その後の未来はどうなってしまうか?」などは、必ず過去にどこかの国が経験していることであり、歴史を学ぶことで「こうやって生き抜いた国があった」とか、「こういう選択をした国は全て滅びてしまった」という事を歴史は教えてくれる。
「歴史は古い話だから興味がない。どうせなら、今のことが知りたい。」という者も多いが、歴史は現在の社会情勢に関しての答えをいち早く与えてくれるものである。

そのように重要な歴史教育だが、世界各国ではその国の建国の成り立ちや建国の精神が、まず最初に語られた上で、それを基礎として様々な事が語られる。
だが日本の歴史教科書ではいきなり「人間は猿から進化しました」と、実際に人間は猿から進化したのかどうか、判明もしていないことから話が始まる。
そして次には世界で最も誇るべきであるはずの縄文文化を安っぽく短く表現される。
その後の歴史は歯切れの悪い出鱈目が続き、古墳時代前後は急に時代が飛ぶなどして、かなり後の天皇が教科書に登場する始末だ。

「卑弥呼という女性が国を治めた邪馬台国という国が・・・」という記述がかならずなされており、「卑弥呼」という字をみれば日本人であれば卑しく身分の低い者とすぐに判断できるような名前の者が国を治めたという違和感と、国の名前に「邪」という忌まわしい文字が入れられていることに違和感を感じるはずだ。
「卑弥呼」という文字は日本のどの古代文献にも、この字は残っておらず、「卑弥呼」の「邪馬台国」として紹介しているのは、歴史を嘘で塗り固めた中国の「魏志倭人伝」のみであり、わが国の歴史教科書は「魏志倭人伝」のような書物のみで歴史の「ひみこ」の時代を紹介しているのである。

その後の時代の記述についても、日本の歴史教科書は歴史的背景をほとんど説明しておらず、嘘の説明も多いのが実情である。
歴史的背景を学ばず、ただただ、「何年に何があった」「何年に何ができた」などと、事実のみを記憶することは歴史を学んだことにはならない。

今や、戦前生まれの人は少なくなり、戦前の歴史教科書で歴史を学んだ人はほとんど居なくなってしまったが、戦前の歴史教科書では日本の成り立ちは神話であり、神話の時代から現在の天皇につながる国として現在の日本があるという、日本の国としての根幹の話が最初にあった。
このような話こそが、歴史教科書にとって重要なのであり、今の歴史教科書は戦後すぐにアメリカの占領軍GHQによって情報統制された時の体制と何も変わっていないのだ。

歴史を勉強するときに「神代の時代からの系譜を受け継ぐ天皇陛下が日本を統べているのですよ」と最初に教えられるのと、「人類はサルから進化して、なんとなく縄文人というショボいのがいて、弥生文化と言う素晴らしいものが中国から入って来て、天皇がぽっと出て来たんですよ」と最初におしえられるのとでは、自分の国の歴史に対する思いが大きく変わるはずだ。

歴史を学ぶことで重要なのは、自国がどのような点で誇ることのできる国なのかと言うことを知ることと、過去の歴史にはどのような背景でどのような事件が勃発して、その結果、どのような結末に至ったのかを学ぶことである。
現在の日本の歴史教育には、そのどれしもがなくなってしまったのである。


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