子供の反抗期とは何か:子供の反抗期を認める者の思考は世界の支配者たちの独裁思考と同じである

人は権力を持つと権力を堅持しようとする。
どんなに小さな権力であったとしても、一度手に入れた権力を利権として絶対に手放さない。

どんなに小さな子供でも平等な権利を有するにもかかわらず、多くの大人たちはまるで子供を自分の所有物や奴隷のごとく扱い、命令し、大人という有意な立場を利用して子供を支配し、子供に一人の人格としては扱わない。
これが親子関係となると、親たちの支配欲は急速に増加する。

この人間の最低な支配欲からはどんな人間も逃れることはできない。
特に、権力を握った支配者となれば、その傾向はさらに強い。
親という存在は子供を絶対的に支配する権利だと勘違いする者が多いため、多くの親が毒親となって子供を自分たちの意のままに支配しようとする。

一般に「反抗期」と呼ばれるものは大きく分けて2つあり、幼少期に起こるものと思春期に起こるものと言われている。
それ以外の反抗期は「早すぎる反抗期、イヤイヤ期」と言ったり、「遅すぎる反抗期」と言ったりするが、本質は全て同じである。

幼少期の反抗期と言われるものは、幼児に徐々に自らの意思を表現できるようになったことをもって、親に対する「反抗」として認識するもので、毒親の支配欲の成れの果てである。

思春期の反抗期と言われるものは、感受性がより豊かになった思春期の子供が自らの意思に対して抵抗のあるものに強い反発を示すことをもって、親に対する「反抗」として認識するもので、これも毒親の支配欲の成れの果てである。

幼少期の幼児が自らの意思を表明することは自我の芽生えであり、その成長を称えて尊重すべきである。
これを「幼少期の反抗期」として押さえつけるのは、独裁者が独裁者の意向を市民や奴隷に押し付けることと何ら変わらない。

思春期の子供が自らの感性に正直に意思表示をすることは自我の成長発展の証であり、その成長を称えて尊重すべきである。
これを「思春期の反抗期」として否定するのは、独裁者が独裁者の意向に反するものは許さないという独裁体制の押し付けに他ならない。

筆者には娘がおり、娘が主張することは人の道に反しない限り、基本的には好きにさせているし、逆に何の意思や反抗を示さないときは娘が何らかの意思の抑圧を受けているのではないかと心配するほどである。

現代社会に生きる人たちは、学校教育や社会の構造が独裁者と奴隷の関係で成り立っているため、自分が独裁者となっていないか、十分に注意を払わなければ自らが独裁者となったり、奴隷に甘んじたりしてしまう構造になっている。

自国政府や世界の支配者たちの独裁を批判する前に、自分が独裁者になっていないか、わが身を振り返る必要があるのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?