最近(2023年11月)の参政党におけるゴタゴタについて

2023年11月に突然、参政党の結党時メンバーの一人である武田邦彦先生が「参政党の理想の姿は日本共産党だと、参政党の事務局の人が言うんです。そうだと知っていたら最初から関わらなかった。私は参政党とのかかわりをやめます。」という動画を突然公開したことで物議を醸している。
現在、この武田邦彦先生の発信を元にして、「参政党は日本共産党だー!逃げろー!」と参政党を叩いたり、アンチに変わったりするような見苦しいゴタゴタが続いている状況だ。


言葉や表現と言うのは基本的には表面的なものであって、本質を説明しようとしても、表面的な意味しかない言葉を使うしかないため、相手に誤解を生じさせる危険性がある。
筆者が普段記事を書くときには、言葉の表面的な意味だけで誤解を与えないように、出来る限り平易な言葉を使いながら、例示も用いることで、本質的な理解にズレが生じないように気を付けている。

例えば、「民主主義が理想の政治形態だ」という話をしたときであっても、必ず人は組織として集まって、組織として行動するのであって、全ての組織の機能を「民主主義」にしてしまうと組織がまともに機能しないことなど、往々にしてあるものである。
そんな時には、組織体制の一部は独裁主義的である方が、組織全体として「民主主義」が実現できることもある。
にもかかわらず、組織体制の一部に独裁主義的な機能があることをもって、「この組織は独裁主義だ!民主主義じゃない!」というのは誤りだ。
世の中には理想だけで成り立つことはなく、全体としての理想を実現させるために、一部が非理想的な理念で成り立っていることだってある。

男女平等という理想を本当の意味で実現するというときに、何もかもを男女で平等にしてしまっては、真の意味で男女平等は実現できない。
例えば単なる力比べ、力仕事しかないような状況においては、どうしても力の強い男性が有利になるし、そのような状況で男女で平等にしてしまえば、女性が一方的に不利になってしまう。
社会全体として男女で平等にしようという理想を実現するために、男性は力仕事や危険な仕事を敢えて引き受けて女性を助ける場面があるだろうし、逆に女性の優しさに頼った方が良い時には女性が男性よりも多く役割を果たした方が良い時だってある。
男女平等を実現するために必要なのは、男性も女性もそれぞれの能力を最大に発揮できるところで発揮することであって、互いが互いを労わることがなければ真の男女平等は実現できない。


武田邦彦先生が参政党の事務局とどのような会話をした結果、「参政党の理想は日本共産党です」と結論付けたのかは謎である。
だが、武田邦彦先生は参政党が結党してから長い間、参政党と関わってきたのであり、本当に参政党の理想が日本共産党なのかどうか、真意はどこにあるのかを見極めて来れたはずだ。

筆者が見る限り、参政党の理念は結党当初から変わっていない。
組織が大きくなるにつれて、そして組織が大きくなり影響力が大きくなるにつれて妨害工作にさらされるようになるにつれて、参政党の組織形態が変わってきていることは確かだ。
だからと言って、現在の参政党の理想が日本共産党化と言われれば、それは違うだろう。

誰かを信じて一緒に歩んでいくということは、「信じた相手を信じたという自分」を信じるということである。
ある異性と添い遂げようと心に誓い結婚した場合、その伴侶の事を信頼したから添い遂げようと思ったのであり、それは究極的には「自分が選んだ伴侶は信頼が出来る人なのだと信じた自分」の事を信じることに他ならない。
たとえ結婚後に、その伴侶が浮気をしたり、思っている人と違うと思ったりしたとしても、それは究極的には自分の目が節穴だったことであり、それを相手や他人のせいにしてはならない。
自分の事さえ信じられないような人間が、「お前はもう信じられない」という資格などないのである。

武田邦彦先生は「参政党の理想は実は日本共産党だった」ということがショックすぎたのであろうか、その事を各所に広め、まるで参政党つぶしのアンチのような活動をしている節がある。
それは例えるなら、自分がかつて信じて愛した人間のことが信じられなくなったからといって、「あの女は酷い性格の最低な女なんだ!」と方々で悪口を言いふらすことに等しい。
日本には今や、自民党や公明党、維新の会、立憲民主党、日本共産党など、全て売国政党しかなく、最近できた日本保守党は歴史上最大級の売国奴安倍晋三を影で応援してきた百田尚樹らが結党したエセ保守政党であり、どれも信用するに値しない。
日本人による日本人の国を残したいと思った時には、残された道は参政党か、その他の政党、ないしは、新たに政党を立ち上げるしかないのが現状なのである。
武田邦彦先生は素晴らしい思想と先見の明の持ち主であるので、筆者はこの武田邦彦先生の最近の行動が残念でならない。

自分が心から愛した人の事は、たとえ疑心暗鬼に陥ったとしても、とりあえずまずは落ち着いて、自分が心から愛した人の事を信じて真意を確認するべきである。
ちょっとや、そっと、自分が信じて愛した人の悪口を聞いたり、プロパガンダが流されたくらいで自分の気持ちが揺れるようでは、そもそも人を愛する資格などなかったに等しいのである。
まずはとにかく相手を信じ通す、それが、自分が信じて愛した人への礼儀なのである。


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