日本はグローバリズムに適していない

こんなことを言っている人がいる。

「詳細には異論はあるかもしれませんが、地理的特性のおかげもあり、日本(日本人)の歴史的な特性のひとつは、多様な価値観や文化を受け入れ、調和させることができることです。」

文化や宗教についてはそうである。混淆させるのが日本はうまい。異文化的なものを日本という鍋の中に放り込んで、おいしい料理にしてしまう。

しかし、文化や宗教ではなく、ビジネスや社会についてはどうか。つまり、文化や宗教の取り込みではなく、人材の取り込みとなるとどうか。

正直、異能的人材、異分子的人材の活用については、日本は超下手くそであるとぼくは思っている。

先の記事の著者は、日本が多神教だからグローバリズムに対応するベースはあると思い込んでいるようだが、多神教についてあまりに勉強不足である。

ローマ帝国は多神教だった。ローマ帝国は出自にかかわらず、優秀な人材にローマ市民権を授け、帝国の繁栄を築いた。グローバリズムに対する対応性は充分にあったと言える。

古代ギリシアも多神教だった。だが、非常に排他的で、アテネ市民権は非常に限定されていた。とてもグローバリズムに対応できたとは思えない。

同じ多神教でも、かたやローマ帝国は国際的な人材(自分たち以外の種族の人材)の吸収に成功し、かたや古代ギリシアは失敗した。

多神教であるという理由だけでは、グローバリズムに向いていると言い切ることはできない。日本は多神教の国ではあるが、だからといってグローバリズムに向いていると言うことはできない。

日本は非常に同質性が高い。宗教的・文化的には世界でも類を見ないほど寛容性が高いが、ビジネスや社会生活では、排他性が強い。「集団内ではみんな同じ」という同質性を求める傾向は、外からの異分子を強烈にはね除けることになる。

日本はグローバリズムには適していない。同質性の圧力が非常に高いため、異能や異分子を吸収することが下手なのだ。人事システムも、異能や異分子を取り込み、活用するようにはなっていない。

日本企業の苦戦は、まだ10年はつづくだろう。日本がグローバリズムに対応するためには、あと25年掛かるかもしれない。

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