1億人もの人が生きている国、日本


1億人もの人が生きている国、日本。

や、正確には1.2億人くらい?(※全然正確でもありません)



まー細かい事は置いておきまして、

要は、言いたい事は、


1億もの人の在りよう、人生がこの国には存在しているんだ

と、いうことです!



やーすごいですねー 1億人ですよ?一億人。
想像がつきませんわあ〜


まじハンパないんですよね、



…なんか軟派ない言い方になっていますが、これは多分ギャル記事から、ちょっと素の部分っていうか、ラフな自分が出てきているんだと思います、はい✋



と言う紹介もありましたがまぁ置いといて!


…本題を見失いました。(笑)





あれこれ作業してると忘れますよね〜


ああ〜、つまり想像もできない部分がわたしたちには存在する、ていうことを言いたかったんですよ、きっと。笑


これ想像できないこと、わからないことが存在するのは、当たり前です


いわゆる、未知。

自ら全てを体験できないからこそ、未知が存在するのでしょう

そこら辺は誰かの知識や経験、神のお告げか何かに頼るものですが…。



今日明日のことも、わたしたちにとっては未知である
ありふれた、理解し得たものでも、もしかしたら別の可能性が存在するかもしれない



1億人もの人間の人生、その在り方を、わたしたちはその全てを知ることはできません。


だけど、一般論的なものが通用するところもある。

例えば、共通言語のような、お互いが理解しやすいもの。共通していえそうなこと。
これらは武器として…、未知だけど共通して言えそうなこととして、場合によってはゴリ押しできます(知らない側がね)




ここで私が言いたいのは、この世界の多くはわたしたちが知るところにないと言うことと、(つまり未知)それらに対してわたしたちは想像や決めつけ、共通認識や法則性を常に当てはめようとしていると言うことです


統計学は統計学でしかない。

(※統計学を馬鹿にしているわけではありません)



統計で見れないところは必ず存在する


規則性や法則性は、多数は語れても例外に対しては弱い





規則や法則を軽んじたいわけではありません。


ただ私は改めて、世界は未知で溢れていると、そう思いたかったのです。




…こう、社会人になったのに(身分上はね)、部屋にずっといて誰とも接触しない、と、いうのは、なんというかこう、決めつけやすいのです



ちっちゃい子供の時に比べて、確かに知識量は圧倒的に増えたかもしれないけれど、この世界で生きていくにつれて多くの規則や法則を感じたり学んだりした


それは未知に対して、型を当てはめることによって解を導き出すようなものだった
(あるいは実体験によるものかもしれないけど)



この世界は広い。

あまりに広い。



そりゃあもう、1人の人間じゃ、世界の全てを一生かけても知れないであろう程に。


"世界"という名のマップとそこに存在する全ては、もう、とてつもなく膨大な量だが、実際のところ、私たちの体感する世界とは、(小さな世界)2〜30人程度が構成する世界だ。



家族や友達、地域の人、学校や会社の人、ネ友、(※ネット友達)…その全てを合わせても、1億と言う数字には遠く及ばないだろう

自分の人生に影響を与える人は…一体何人なんだろう?




…安心してほしい

世界の人口は78億人もいるから、どれだけ広がったところで相対的には小さな世界だ🌏





…隣人を愛せとはよく言ったものだ。



…海は広いなとよく言うが、私にとってはこちらの表現の方が広く感じてしまう




話は変わるが、

井の中の蛙、大海を知らず。



別に蛙は、大海を知らなくてもいい

これは井の外、大海を知る者が、蛙にとっては神視点なる者が、勝手に思っているだけだ





人間にとってはどうだろうか

井の外から誰かが手を貸してくれることを、人間も待つしかないのだろうか




いやあ〜、世界って本当に未知だらけだなあ〜〜🍵



"世界"と言う名のマップと小さな世界というのを文中で語ったけれど、"世界"と言うレベルで見ると確かに私は世界を構成するごくごく1部なんだけど、だからって言うのかなぁ〜、"世界"から見ると1周回って'未知'っていうレベルなんだよねw

いわゆる'ミクロの世界'とでも言うのかな?ww



小さな世界においても、私は'既知の存在'でありながら、よくよく考えてみると未知で溢れてるんだよねぇ〜

人間って割と意味不明な側面も持った生き物だからねぇ〜



'未知'だとか'既知'だとか、だからこそ私たちは色々と対話が必要だと思うね✋


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