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写真批評 サシイロ 17 〜見たことのない景色 前編

風景写真というジャンルがある。人気の高いジャンルの一つである。
風景写真を撮る動機は様々であり、今回から複数回かけて、その動機ごとに風景写真の果たす役割を明らかにしていきたい。
まず、今回は佐藤健寿氏の「奇界遺産」を取り上げたいと思う。

奇界な遺産というコンセプトは、いくつかの要素をクリアした風景のように思われる。例えば、民族や宗教的な背景に裏打ちされたもの。それが別の民族から見たら、まるでユーモアのあるように感じられたり、運命や自然のように人間の限界を超越した何かがそこに存在するように感じられたりする。
佐藤健寿氏は自分の感性に触れたものを撮っているだけというスタンスだが、それを理屈付けると、日本人というアイデンティティが確立された上で、そのアイデンティティに照らして奇妙、いや奇妙を超えた異界な存在感を感じさせる、民族性や宗教性の象徴となるものを被写体として直感で選んでおり、そして被写体のジャンルとしてはたまたまそれが風景というジャンルだったというだけのように思う。

佐藤健寿氏は最近廃墟写真も撮るようだが、廃墟というのも風景の一種であり、時間という力が成し得た、決して人間の限られた寿命という時間では成し得ない、変容作用を表しているものといえるだろう。

このように見ていくと、風景写真というジャンルは、その風景という図の中に潜む人知を超えた何かを、鑑賞者は見るのだということがわかる。
裏を返せば、風景を撮りたいと思う写真家には、人知を超えた何かを察知して、それを切り取る覚悟が求められているのだ。人知を超えた何かを風景というあるがままの図の中に撮ろうとするのは、決して容易なことではない。そのハードルの高さこそ、風景写真が人気の高いジャンルとなっている理由なのかもしれない。

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