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写真批評 サシイロ 14 〜動物写真

今、まさに桜が満開でお花見をした方も多いのではないだろうか。上野の恩賜公園は花見客で賑わったと聞いたが、上野動物園のパンダの親子とセットで楽しんだ方もいるのではないか。
さて、今回はモノクロ写真とは離れて、動物写真というジャンルについて、触れてみたいと思う。

動物写真というのは垣根が高いものではなく、例えば自分が飼っているペットの写真をSNSにアップしている人もたくさんいるだろう。ペットではなく、先に触れた上野動物園のパンダの写真を毎日観察日記のようにアップしている方もいるし、また写真家の岩合光昭氏などは、町の野良猫なども撮影したりしている。
ちなみに私が好きな動物写真家は、今は亡き星野道夫氏だ。

動物写真というのは面白いもので、従来から私がこの批評シリーズで述べているように、写真には撮影者と被写体との間の関係性が表れてしまうので、動物と撮影者との関係性が如実に見えてくる。さらに動物というのは、静物とは違って意思を持つものであるが、一方で対人間とで行えるほどのコミュニケーションも取れず、静物と人間の中間的な存在である点も、撮影者と被写体の関係性を面白くしているような気がする。
あなたは動物写真を見るとき、被写体の動物の愛らしい表情や、飄々とした動き、ひょうきんな仕草、自然の厳しさと闘う勇敢さなどに心を奪われ、楽しんでいると思うだろう。しかし、私は動物写真を見るとは、つまりはこの被写体と撮影者との微妙な関係性を楽しんでいるのだと考える。

例えば、ペット写真などは、被写体は撮影者に絶対的な信頼を寄せている。絶対的な信頼関係は、ここまで無垢で純粋なものなのかと、微笑ましくなるほどだ。
岩合光昭氏のような野良猫写真は、それとは違い、少し被写体と撮影者の間に距離があり、でも被写体側から撮影者へ「あら、アンタも私たちと同じ漂流者なの?仕方ないわねぇ」という台詞が聞こえるかのような共感を見て取れる。
共感というのは、絶対的な他者とは一歩進んだ関係であり、私たちは関係性が進む過程を写真から想像し、その時間の積み重ねに思いをはせるのだ。
さらに私の好きな星野道夫氏に至っては、動物同士が警戒を解いたほんの一瞬にしか見せない表情や仕草を切り取って見せている。星野道夫氏はアラスカに魅せられ、住み、動物を本当に近くで捉えた方であるが、彼はもはや自然の一部にすらなっていたように思う。距離など全くない。
星野道夫氏の写真を見ると、本当に愛するとは、個体としての境界を投げ捨てて、真に一体化することだと悟るのだ。命すら投げ出しても。

※冒頭の写真は、星野道夫氏の写真。

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