世界最初の録音について
蓄音機を発明したのは言うまでもなくトーマス・エジソン(1847-1931)ですが、音声の記録自体は彼の発明に先行するものが存在します。もっとも、それが再び音声として再生されることは想定されていませんでしたが。
エドゥアール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィル(1817-1879)は、パリの科学関連の出版社に務める編集者でした。1853年か54年頃、マルタンヴィルはパリ大学医学部の生理学教授 François Achille Longet (1811-1871) の生理学の論文を校正中、その聴覚の解説にインスピレーションを得て、音声を直接物理的に記録することを思いついたといいます。
そして彼は実際に機能する装置を製作しました。それを Phonautograph と名付け、1857年1月26日にアカデミー・フランセーズにレポートを提出。それにはかなり乱暴ながら確かに音の振動の記録と認められるものが付されています。左は "parole" (話声)、右は "guitare"(ギター)とあり、これが現存最古の「録音」ということになるでしょう。
さらにマルタンヴィルは1857年3月25日に「フォノートグラフ」に関する特許を取得。それに彼の装置の原理が図入りで解説されています。
つまりこのガラス板牽引方式では1メートルの長さのガラス板で連続的には1秒しか記録できないのですが、1857年の夏から秋にかけて改良が加えられて回転シリンダー方式となり、20秒ほど記録できるようになりました。
1859年にマルタンヴィルはドイツの音響器具製造者のルドルフ・ケーニッヒと提携してフォノートグラフを商品化しました。フォノートグラフは研究機関でそれなりに使用されましたが、さほど利益を生むことはなく、その後のマルタンヴィルはパリで版画や写真を扱う本屋として残りの人生を送りました。1863年に彼がホワイトハウスでエイブラハム・リンカーンの声を録音したという「伝説」が存在しますが、1860年代に彼がアメリカへ渡った形跡はなく、そのような録音物も知られていません。
"phon-autograph" という名称が表す通り、マルタンヴィルはこの装置によって最終的に口述筆記を自動化することを目指していました。いずれは記録された波形自体を速記文字のように読めるようになるだろうと彼は考えていたのです。音の自筆、最も自然に即した文字の形。
現存するマルタンヴィルの「録音」は50種が知られています。しかし1859年の時点で彼は「1500回以上の実験」を既に行ったと述べているので、これらは彼の試行のほんの一部に過ぎないのでしょう。
1860年4月9日の日付の録音は、フランス民謡《Au clair de la lune》を歌った声を記録したものとあり、注目すべきはそれにリファレンスとして「秒間500回の単振動の音叉」の波形が併録されていることです("au clair de la lune chanté; la ton est mesuré par le diapason de 500 vibrations simples par seconde qui écrit directement et simultanément en entreligne du chant")。
マルタンヴィルが意図していたのは飽くまでも音声を可視化することであったわけですが、この音叉の波形を手がかりにすればピッチを再現して元の音声を再生することも不可能ではありません。
David Giovannoni と Patrick Feaster らは、ローレンス・バークレー国立研究所が開発したデジタル画像処理による仮想スタイラス技術(IRENE)を応用して、マルタンヴィルの《Au clair de la lune》を再び音声として蘇らせることに成功し、2008年3月28日にスタンフォード大学で公開されました。
この復元された音声はmp3ファイルでウェブサイトよりダウンロードできます。
ともかくも人間の声であることはわかります。これが現在のところ再生された最も古い人間の声であり、エジソンの《メリーさんのひつじ》より遡ること17年前のものになります。
ただし問題があって、彼らは当初「秒間500回の単振動」を500Hzであると解釈して、結果甲高い女性か子供のような声として再生されました。しかしながら後に別のスピーチの録音の再生から、この音叉は250Hzのものであると考えるのが妥当と判明し、実際には男性が非常にゆっくり歌っているものであったことがわかりました。おそらくはマルタンヴィル本人の歌声でしょう。
新しい復元音声は2010年5月に公開され、これもmp3でダウンロードできます。
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