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パンクラス・ロワイエ(鍵盤楽器音楽の歴史、第141回)

1733年10月1日、パリのパレ・ロワイヤルで王立音楽アカデミーによってラモーの《イポリートとアリシ》が上演されました。

https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b9058656m

このラモー50歳にして初のヒット作は大変な反響を呼び、賛否両論が巻き起こります。フランスの流儀に反している、要するにリュリ風でない、ということが問題視されたわけですが、実際リュリじゃないんだから当然でしょう。それぐらいフランスの劇場は保守的だったわけです。

ちなみに同じ年にペルゴレージの《奥様女中》が初演されています。これが20年ほど後にパリで上演されたときには、天地をひっくり返したような騒ぎが起こることになります。

さて、この《イポリートとアリシ》初演時に音楽監督を務めていたのが、ジョゼフ=ニコラ=パンクラス・ロワイエ (1703-1755)です。

Joseph Nicolas Pancrace Royer (Jean-Marc Nattier, 1750).

ロワイエはトリノの生まれ、とはいえイタリア人というわけではなく、父親がその頃サヴォイア宮殿の庭園と噴水の管理人として派遣されていただけです。一家はその後すぐにパリに戻ってきましたが、なぜか彼が公式にフランスに帰化したのは漸く1751年になってのことでした。

ロワイエがどのように音楽の道に入ったのかはさっぱりわかりません。父親が遺産を残さずに亡くなったため、趣味で身につけた音楽で食べていかなくてはならなくなった、等と説明されてもいますが、しかしその父が亡くなったのは彼がわずか10歳のときなので、それはどうかと思います。

ともあれ、ロワイエは1725年にはオペラの作曲家として活動しており、1730年に王立音楽アカデミーの監督に就任、1734年にフランス王家の子女のクラヴサン教師となり、1748年以降はコンセール・スピリチュエルの運営に携わっています。つまるところロワイエは当時フランスで最も高い評価を得ていた音楽家の一人でした。

ロワイエの活動の中心は劇場にあり、肖像画にも描かれている代表作《ザイード、グラナダの女王 Zaïde, reine de Grenade》(1739) をはじめとする歌劇作品が現存しますが、現代では上演機会に乏しく、今のところ彼は概ねクラヴサン曲のみによって知られています。

1746年に出版された『クラヴサン曲集 第1巻』に収録されているものが、ほぼその全てです。彼の死後の1756年に「2冊分に足るクラヴサン曲」の存在が報告されていますが、現存しません。

ロワイエのクラヴサン作品は、数は少ないもののいずれも良作ぞろいで、その瑞々しい情感表現と華麗なヴィルトゥオシティは、クープラン以降のフランスのクラヴサン音楽の中では一頭地を抜いています。

https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/300147

この曲集には14曲が収録されていますが、特に組曲などに編まれてはなく、調ごとにまとめられているだけです。

この14曲のうち少なくとも5曲は自らの歌劇からの編曲です。

第2曲《La Zaïde》はもちろん《ザイード》からの編曲です。元は第3幕第5場の器楽パートであって、フルートとヴァイオリン2丁のみで開始し、後から通奏低音が加わるというものです。クラヴサンにおいてもその繊細な雰囲気は損なわれていません。

https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/535634

一方、第12曲の《アルマンド》《愛の力 Le pouvoir de l'Amour》(1743) 第3幕第2場〈犠牲のための行進 Marche pour le Sacrifice〉が原曲。クラヴサンという楽器のダイナミズムの限界に迫るかのような華麗な編曲で、絶対的な音量を抜きにすれば、その迫力は原曲を凌ぐものがあります。

https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b9058703t

オリジナルと思われる曲も、ロワイエの作品にはどこかしら劇場的な雰囲気が漂い、あるいは未知の作品の編曲である可能性もあるでしょう。

メランコリックな曲でも、クープランがクラヴサンの中に秘めやかな閉じた世界を創り出すのに対し、ロワイエの第10曲《優しい気持ち Les tendres Sentiments》は豪奢な舞台に歌い上げるエールを思わせます。

両手一杯の和音の連打が衝撃的な第11曲《眩暈 Le Vertigo》。これはいかにも劇伴そのもので、狂気、錯乱、といったシーンに似つかわしい代物です。ロワイエは劇場で指揮をしながらこのようなものを即興で演奏していたのではないでしょうか。

ロワイエのクラヴサン曲の中でもとりわけ人気が高いのが、曲集の終わりを飾る第14曲《スキタイ人の行進 La Marche des Scythes》

これも実は《ザイード》からの編曲で、3幕5場の《トルコ人のためのエール Air pour les Turcs》が元になっています。

ここまで見てきたロワイエの編曲は、どれもわりと原曲に忠実なものでしたが、《トルコ人》が《スキタイ人》になるにあたっては大幅に手が入れられ、途方もない作品に仕上がっています。

これに関してはスキップ・センペの名演を聴いていただければ、もはや何もいうことはないでしょう。

ただ、YouTubeにある動画はオフィシャルの提供ながら画質音質ともに劣悪。ちゃんとしたものはラモーのCDの付録のDVDに収録されています。

腰砕けの高いドに、わざわざ上鍵盤かつシュスパンシオンを指定しているのが泣かせます。

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