東京には砂漠があるという

いや、東京に限らない。

どこにでも。

その砂漠は、人の心の中にあるのだから。

砂漠には、雨が降らないわけじゃない。

砂漠には、生き物が棲んでいないわけじゃない。

砂漠は、ただ、しんとしているだけだ。

きーんと耳が鳴る程の、静寂の世界だ。

そして、誰の心の中にも、静寂の砂漠の世界が、広がっている。

砂漠の広さ大きさは、人それぞれだ。

果てしなく広い砂漠の世界を持っているひともいれば、箱庭のように小さな砂漠の世界のひともいるだろう。

砂漠の世界には、決して誰も立ち入らない。

立ち入れないのかもしれない。

知らないだけかもしれない。

砂漠の世界は、自分自身知らない場合さえ、あるのだから。

その場所は、とても巧妙に秘匿されている。

心の表にはない。

心の裏側にもない。

心の内側の奥底のそのまた奥底の、遙か北側に、広がっている。

砂漠に訪れることは稀だろう。

一生訪れないこともあるだろう。

頻繁に、訪れる時もあるだろう。


砂漠を訪れるのは、人によって理由も意味も異なる。

言葉にできない寂しさを感じる時、沈思黙考したい時、ただ、ぼんやりとしたい時、ひとりになりたい時、孤独を囲う時、楽しさを噛み締める時…様々だ。

ただ、全てに共通するのは、ひとりと言うことだろう。自分自身を見つめる場所。
誰にも教えていない秘密の場所。

そんな場所に、時折誰かが訪れることがある。

稀人、客人…まれびと。

その場所に訪れようと思って、来たわけではないだろう。

その場所に訪れようと思って、来たこともあるだろう。

自分だけの場所に、現れたまれびと。

稀人は、もてなす決まりになっている。

いにしえから。

古今東西の決まり事。

ありがとう、訪れてくれて、と。

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