雨の日の水溜りで遊んだのはいつの頃だろう【24】
海の近くに住んだことはあるだろうか。
電車や車なんて使わなくても、歩いてすぐのところに海のある生活をしたことはあるだろうか。
潮の香り、波の音、水平線、島の向こうに沈む夕陽。
僕は高校を卒業するまで、その場所にいた。
海の近くの家に。
堤防によく行った。
学校からの帰り道、部活が終わって、夜の真っ暗な海の側の道を自転車で走らせながら、堤防に向かった。
堤防に着いたら自転車を止めて、堤防に登ってそこに座って海を眺めたり、寝そべって夜空を眺めていた。
満点の星空は、宇宙を感じさせるには十分だった。今ではそう思う。
でも、その頃の僕は、ただ、星空が綺麗だと思うだけだった。
堤防に寝そべって、足を組んで、ぶらぶらとさせながら、夜空を眺めていると、次第に目が慣れてきて、流れ星の軌跡や人工衛星がすうっと横切るのを見ることができた。
天の河は、本当に星の河のようだった。
星の名前や星座も覚えることができた。
僕が夜空を見上げるために堤防に行くようになったのは、高校生くらいだったように思う。
でも、その前から、夜空を眺めるのは好きだった。
一番古い記憶は、3歳の頃の記憶だ。
飼っていた犬との記憶。
初めて家に来た日のこと。
ころころとはしゃいで、部屋中を走り回って、戯れてきた仔犬。
僕のところに飛び込んできて、ぺろぺろと顔を舐めて、僕から離れなかった。僕も離さなかった。
それから僕と仔犬は一心同体のように、何をするのも一緒だった。
どうして今頃になって、そんなことを思い出すのだろう。
僕はカツ丼を平らげると精算をしてお店を出た。
お店を出る時、ちらっと後ろを振り返った。
競馬に負けたような男は、テーブルにうずくまるようにしてビールを飲んでいた。
店内は柔らかな陽射しが差し込んで明るく、そしてどこか古ぼけていた。
店員の、ありがとうございましたあという声が背中にかけられた。
明代の家までの道は、さっきの道を戻るだけだった。
途中に電話ボックスがあった。僕は中に入って電話をかけた。
葉子が出てくれるといいのに、と思った。
しばらくして、声がした。
「もしもし」
「葉子さん」
「嬉しいわ、お電話くださって」
「僕も声が聞けて嬉しいです」
「でも…なんとなくお元気がなさそうですわ」
「そうですか?元気ですよ」
「それならよろしいのですけど、なんだか心配ですわ。お疲れの感じ」
「少しは疲れましたが、大丈夫です。もう少ししたら電車に乗ります」
「お泊まりなさるかと思ってましたわ」
「泊まりませんよ、用事を済ませたら帰ります」
「そうですの。ゆっくりなさってね」
「帰りの寝台列車でゆっくりさせてもらいますよ」
「お帰りになったら、しばらくどこにもいらっしゃらないのかしら」
「調べ次第だと思います」
「早くお会いしたいわ」
「僕もです。葉子さん。そろそろ切りますね」
「お気をつけくださいね、お待ちしてます」
「ありがとう。じゃあ、また」
「はい。それではまた。失礼しますわね」
僕は電話を切ると、電話ボックスから出た。
ふと道路の向こうに、明代の母が歩いているのを見た。
明代の母の後をつけようか、それとも家に向かうか一瞬迷った。
明代の家に向かうことにした。
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