切り取ったある場面
たとえば掌編小説。
ある場面を切り取った、影絵のようなもの。
抽象的なものもあれば、幾何学模様のようなもの、具象化されたものなど様々ある。
人生のある場面。
生活の中の何気ない情景。
大切なひと時の、ふとした一瞬。
人は、どんな風に切り取るのだろう。
鋭利な刃物で瞬時に切り取るのだろうか。
それとも、ゆっくりと時間をかけて、ハサミのようなもので切り取るのだろうか。
ちぎり絵のように、自らの指で、シルエットを表すのだろうか。
スナップ、スケッチ、写真のように、絵のように、描く方法もあるだろう。
人生のある場面。
生活の中の何気ない情景。
大切なひと時の、ふとした一瞬。
ありきたりの何でもないシーンが、切り取っただけで、鮮明に浮かんでくることもある。
映画の宣材、スチール写真のように。
ポスターのように。
そんなものでもなく、フェルメールの絵画のように、静謐な空間の中に、永遠を閉じ込めてしまうように、解釈の海の中に、一石を投じる物語や絵もあるだろう。
僕はとある場面を考えていた。
よ!
背後から声をかけられて、びっくりして振り返ると伯父さんが立っていた。
なんだ、伯父さんか。びっくりさせないでよ。
なんだとはなんだ。
いきなり声かけられたら、誰だってびっくりするよ。
誰だってとはなんだ、誰だってとは、75億人全員か?
赤ちゃんも死にそうな人もみんなか?
ほらまた、そうやって屁理屈だ。
屁理屈も立派な理屈です。
伯父さんは偉そうに言った。
はいはい。
はいは一回だと何度言えば分かる。
はい。ごめんなさい。
分かればよろしい。
今日はどうしたの?
いや、なに、ちょっとお前の顔でも見たくなってな。
それはどうも。
何をしておった?
ん?考え事。
考え事?
そう。
馬鹿の考え休むに似たり、という。
馬鹿だけど。休んでないよ。
お前は馬鹿ではない。馬鹿のような、馬鹿のふりをしている臆病者だ。いや、厭世主義者か。皮肉屋でもある。
よくそんなこと言えるね。
お前は甥だからな。
まあ、その通りかもしれないけど。
それで、休むに似たり考えとやらは、何なんだ?
とある場面の捉え方。
ふむ?
生きていると、いろんな場面があるでしょ。そんな中、人は全部を意識できないし記憶もできない。
ふむ。
だから、ある場面だけを切り取ることがある。
まあな。
それは、どんな意味があるのかなって。
なんだそんなことか。
そんなことなの?
そんなことだ。
そうなの?
人はそういう風にできている。
そうだね。
ところが、とある場面の切り取り方は千差万別、質も違う。
千差万別はなんとなく分かるけど。質って?
たとえばだ。マネだかモネだか忘れたが、ある画家は、飛び降りた人を一瞬でスケッチしたという。
凄いね。
それが質だ。
早さ?
それもある。
モナリザの微笑みは忘れられんだろう。
謎めいたもの?
それも質だな。
ちなみに、モナリザが笑っとるのは、わしの顔芸に吹き出しそうになったからだ。
そうなの?
疑うのか?
そういう訳じゃないけど。
良い女だったぞ。
そうですか。
質というのは、品質のことではない。本質のことだ。つまり、内在された存在理由と価値のことだ。ちなみに、理由も、価値も相対的なもので絶対ではない。まあ、この世に絶対はひとつとしてないがな。
またそんなシニカルな発言。
お前に言われたくはない。
僕の伯父さんだから良いでしょ。
まあ、よかろう。話は戻るが、とある場面を切り取る時言ってたな?
うん。
返事ははいだ。
はい。
とある場面を切り取るのは、それ以前に、切り取りたいという欲求が生まれる筈だ。
そうだね。
欲求無くして切り取っても、そこに質はない。
なるほど。
欲求こそが原動力だ。
動機ってことだね。
そうだ。だから、とある場面を切り取りたいと思わない人もおるし、切り取りたい、と思う人もいる。
そうだね。
お前は前者だろう。
うん。あ、違った。はい。
ならば、その欲をもっと高めなさい。
欲を高める。
左様。強くするのではない。高めるのだ。
なんだか分かるような分からないような。
悩みなさい。それは人間の特権だ。
伯父さんは悩まないの?
人間じゃないからな。そんな特権はない。
悩まなくて良いのは楽だと思うけど。
そういうのを浅慮という。
浅はかでした。
悩みがない代わりに、望みもない。
そうなの?
そうだ。仕事あるのみ。
コキュートスに連れてく仕事ね。
まあな。おっと、そろそろ時間だ。
帰るの?
なんだ、その嬉しそうな顔は。
嬉しいから。
そうか。なら喜べ。さらばだ。
伯父さんはどこかへ行った。
どこへ行ったかわからない。
どこから来たかもわからない。
だから、伯父さんのことが好きなのだろう。
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