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花守と狩人の親和性

一見何の関係もない花守と狩人。

数日前、日記を書いていて、ふとしたことで、花守と狩人は似ている、同じところがあると思った。

花守が静なら狩人は動のイメージがあるが、それは表層的なもの。

どちらにも同じことが言えるのは、宝物を手に入れるためなら、何事にもじっと耐えて、命懸けということだろう。

花守なら花。百花繚乱はどうでも良くて、唯一輪だけを望んでいる。

狩人なら鹿を。他の動物や鹿はどうでも良くて、美しい鹿一匹を追い求めている。

そんな、偏執狂的なところも同じだ。

違うとすれば、花守は花を傍に置くところ。

狩人は、鹿を我が物とするところだろうか。

ただ、狩人の中には変人もいて、仕留めても生き返らせて森に返すものもいるそうだから、必ずしもこれという決まりはない。

花守も狩人も、相手を尊敬している。自分よりも素晴らしい存在と思い、崇拝している。

だから、花守も狩人も、自分よりも相手を大切に思い、接することができるのだろう。

花守は花を愛で、狩人は鹿を愛で、それがないと生ける屍になってしまうのも、同じだろう。

花守と狩人の違いとは、その手段だけだろう。

花守は水をやり。

狩人は矢を射る。

しかし、これも表層的なものなのかもしれない。

深層的な象徴という概念においては、どちらも男性的な行為なのかもしれない。

いや、深読みのし過ぎかもしれない。

いずれにしても、花守はいつでも狩人に、狩人はいつでも花守に、なれるような気がする。

ただ、それだけの話だ。

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