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茶道は自然と美学と知識の、大人の謎かけ遊び!

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「茶道って、奥深いんですね」 いえいえ、泥沼です……

 連休後半の土曜日。銀座のお茶室は普段の土曜日の混雑が嘘のように、静まり返っていた。 「カゲロウさん。風炉の薄茶の準備をして」  と先生のお声。前回は濃茶の四方捌きの割稽古をした。もしや今日は、初の濃茶のお点前かなと期待していたので、大きく裏切られた。しかし、そんなこともあろうかと薄茶用のお茶杓の銘と濃茶用の禅語からとった硬めの銘も考えてあった。  今日の薄茶のお手前を見てくれるのは、講師の男性である。お客様は体験の若い女性だ。 「本来、お茶室に入る時は、あそこの小さな躙口と

季語は「月草」、お茶杓の銘は「うつし心」で、どうでしょう

 いで人は ことのみぞよき 月草の     うつしこころは 色ことにして              (読み人知らず)  次回の茶道のお稽古まで、あとわずか。今度は、どんなお茶杓の銘にしようかと連日、通勤の地下鉄の吊革につかまりながら、あれこれと思案をめぐらしている。  五月は、初夏。古今和歌集では「夏」。しかし、夏の和歌は「郭公」を季語にした和歌ばかり。「郭公」と書いて「ほととぎす」と読むようなのだが私は、どうも好きになれない。イメージが広がらない。その場で立ちどまって、思考

お茶杓の銘と、お点前の清浄な空気感の話

 先日は、午前11時頃から銀座のお茶室で茶道のお稽古に行ってきました。裏千家では、お点前の最後に問答があって、お道具について主人と客の間でやりとりをします。お稽古では、 「お茶杓の銘は?」  と聞かれて、自分で考えてきたお茶杓の銘を答えます。他のお弟子さんたちは俳句の季語で答えるのが普通です。でも私は古今和歌集の一句からとった一言を、お茶杓の銘として答えています。  これは以前、先生が、 「お道具の銘は、古今集から取られたものが多いんですよ」  という話をされたことをもとに、

月やあらぬ 春は昔の 春ならず わが身一つは……

 月に二度ある茶道のお稽古の日が近づいて来た。披露する次のお茶杓の銘のための一句を、通勤の地下鉄の吊革につかまりながら、必死に探している。いくつかの候補の句を見つけては、その背景をググってみる。  小野小町の彼氏だったという在原業平の句に、目が止まる。  月やあらぬ 春は昔の 春ならず      わが身ひとつは もとの身にして  意味は、恋焦がれていた人とやっと結ばれたというのに、あれ以来、どうしてあなたは会ってくれないのですか。私はあの日のままなのに、あなたは変わってしまっ

少女の所作に、不覚にも落涙

 茶人が剣豪に剣を習いに行った時の話しを以前、書いたことがある。剣豪は茶人が着ていた羽織を畳んで準備する動作を見て、立ち会う前に言った。 「あなたには、お教えする事は何もありません。あなたは、どなたかに剣を習ったことがありますか?」  茶人は訝しげな顔をして答えた。 「いいえ。剣はどなたにも習った事はありません。習ったと言えば、茶道ぐらいでございます」 「それです。あなたの身のこなしには無駄な動きがなく、一部の隙もありません。あなたには、私がお教えする事は何もありません。既に

和歌で楽しさ倍増、お茶室のお稽古

 茶道のお稽古でのこと。  この一年あまり、主人と客の問答の時のお茶杓の銘を、古今集の和歌から取って答えている。  先日のお稽古で亭主の時、問答で客にお茶杓の銘を問われた。私は準備してあった銘で答えた。 「お茶杓の銘は、古今集の小野小町の歌、   花の色は うつりにけりな いたずらに            わが身世にふる ながめせしまに  から取りました、わが身世、にございます」  お点前が終わったあと、隣りの炉でお稽古を見ていた先生が、一言。 「カゲロウさん。今日のお茶杓の

春ごとに 花の盛りはありなめど……、お茶室でも同じ

 先日の茶道のお稽古でのこと。客との問答でお茶杓の銘を、先生に褒められた。 客「お茶杓の作は?」 私「鵬雲斎大宗匠にございます」 客「ご銘は?」 私「古今集の読み人知らずの和歌、  春ごとに 花の盛りは ありなめど      あいみんことは いのちなりけり  の句から取りました、花の盛り、にございます」  そこへ、お点前を見ていて下さった先生から一言。 「とても、いい銘ですね。よく調べましたね」  と、とても気に入ってくれた様子。  なんとかお点前もつまりながらも終えて、お稽

東風吹かば にほいおこせよ 梅の花……

 しばらくの間、全く書けなかった。書くことがなかったわけではないのだが、書けなかった。  あまりにも生々しいことばかりで。たぶん、自分の中で整理して再構築することができない事ばかりだったのだろうと、自分なりに分析してみた。  最近、一ヶ月ぶりでお茶のお稽古に行って来た。いつもの様に羽織袴に着替えて銀座の街を歩いて、茶道教室にたどり着いた。通い始めてまだ、二年半。最初の頃は思いもつかなかったことが、茶道を習い始めて身の回りに起きた。その事を先生に言うと、 「みなさん、よく、そう

祖母の着物を染め直して、洗い張り

 先日の茶道教室でのこと。二十代後半の方だと思われる女性の着物の柄に目が止まった。つい癖で、その人が隣りに座った時に、お聞きした。 「なかなかモダンな、良い柄のお着物ですね」  と話しかけた。そこから、彼女の物語が始まった。思いもかけなかった話の展開に、人には話しかけてみるものだと感心した。中には、声をかけなければよかった、と後悔させられる人種も、たまにはいるが。  この時の彼女の話は、面白かった。どう面白かったのかと言うと、こうである。 「なかなかモダンな。良い柄ですね」

歴史学者に問い合わせてくれた師匠の心意気に、感謝!

 江戸時代初期のとある高貴なお方に、千宗旦が茶会を開いて献茶した。その時の茶会記が手に入らないものかと思案した挙句、茶道教室の先生に相談のメールを送った。この件について三度目くらいの問い合わせと「お知恵拝借」のメールだった。  先日のお茶のお稽古の時、教室に辿り着いた順番は五、六番目くらいだったのだが、 「カゲロウさん、濃茶のお客さんね」 「えっ? 順番は後の方なんですけど」  と言ったのだが、 「いいの。そこに座って」  と言われて客座に着いた。すると、姉弟子がお点前の準備

再び、「不立文字」は私を奮い立たせてくれる……

 宗旦の息子の一人が大名に仕官することになった。宗旦は旅立つ息子に言葉を贈った。 「利休からは何も教えられていません。私はお点前を、ただ見ていただけです。ですから、これからは殿とともに学んで行きたいと存知ます、と挨拶しなさい」  と息子に言い含めて送り出した。  確かに利休は茶道の教えを書物にして残したりしなかった。文字として残っている彼の茶道に関する考えは、弟子や他の者が書き記したものばかりである。  茶道の基本は、 「不立文字」(ふりゆうもんじ)  である。文字では伝わら

影見し水ぞ、まづこほりける

 茶道のお稽古に、客との問答がある。そこで披露する茶杓の銘のために、冬の歌を一句。  大空の 月の光し 清ければ        影見し水ぞ まづこほりける 「古今和歌集の読み人知らずの歌から取りました。銘は影見し水、でございます。意味は冬の夜空で光る月があまりにも綺麗なので、その月の姿を最初に見た水が、一番最初に凍りました、という意味でございます」  と、お客に答えるつもり。  一見わかりにくいのだが、意味深な和歌である。  例えば月を綺麗な女性に置き換え、水を男性とすれば、

今日のあなたの、一番の茶杓の銘は「ほがらほがら」ね

 お点前の問答で茶杓の名前を客に問われた。 客「お茶杓の作は?」 私「坐忘斎、お家元にございます」 客「御銘は?」 私「こほれる涙」 先生「うーん。よくない」 私「雪の内に〜」 先生「どうでしょう」 私「寒梅」 先生「……」 私「寒桜」 先生「……」 私「熱海では咲いてますけど……。寒ブリ」 先生「なんでも、寒いがつけばいってものじゃないでしょ」  苦し紛れに、 私「火鉢、炬燵……。じゃあ、ほがらほがら、では?」 先生「ほがらほがら……面白い、良いわね」 私「晴れ晴れ、と言う

茶道のかなめは、何?

 私は裏千家で茶道をお稽古させていただいています。以前、講師の方に、 「お点前は3割、日本の古典文学7割。それができていないと、お茶室に招かれたとき、その日のお茶室の主題(テーマ)を理解できません」  と言われました。茶道教室に通い始めて1年半がすぎた頃から源氏物語、伊勢物語、古今集、万葉集を勉強し始めました。  先日のお稽古で問答になったとき、こんなことがありました。 主客「お茶杓の作は?」 私「坐忘斎お家元です」 主客「ご銘は?」 私「空からの花、にございます」 主客「そ