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物語自体の「世に出たい」と言う力を信じて……

 俵屋宗達の資料をあれこれと読んでいるうちに四方八方へ思考を広げすぎて、あったはずの道が見えなくなってしまっていた。次の一歩をどの方向に踏み出せば良いのか全く見えないまま、二ヶ月余りか過ぎた。
 宗達の出自、本阿弥光悦との関係、その他諸々。
 物語全体に渡って必要と思われる大まかなディテールは頭の中に入った。詳細はその都度、確認は必要だが。
 とりあえず今現在、物語自身が、「力」を持っていると感じる。物語自身が「世に出たい」と言う欲求を私に訴えている、と感じる。
 苦しまぎれの我見ではあるが、そんな風にでも思わないと、これより前に進めそうにないほど弱っているわけだ。しかし、本当のところ、置かれている苦境を楽しんでいる、と言えないこともない。
 多分、大まかではあるが全体の流れは出来ている。細かい部分は書き始めれば、自然と埋まって行くだろう。逆に、枝葉末節に囚われて、書けなくなってしまうということもある。
 今現在、頭の中で蠢いて自分の出番を待ちきれずに騒いでいる言葉たちを、とにかく解き放ってみる。そうすれば言葉たちが自ら、私にどうしてもらいたいと思っているのかを訴えて来るはずだ。
 言葉たちが織りなす文章の力を信じて、一歩を踏み出してみる。

創作活動が円滑になるように、取材費をサポートしていただければ、幸いです。