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「茶道はお点前三割、古典文学七割」とイケメン講師のトオルさん

「お点前が三割、古典文学の教養が七割。私は茶道はそう言うものだと思います」
 講師のトオルさんが、私にそう言った。
 
 それは、トオルさんに風炉の薄茶点前を見てもらっている時のことだった。お点前は進んで、お道具の問答になった。
「お茶杓の作は?」
「坐忘斎お家元にございます」
「銘などございましたら」
「草の原、でございます」
「草の原ですか。それはどのような意味で?」
「源氏物語の花の宴で、朧月夜が詠んだ歌です。
  憂き身世に やがて消えなば 尋ねても
          草の原をば 問はじとや思ふ
 でも、この短歌の中には季語がありません。本当は正岡子規のお弟子さんで、高浜虚子と兄弟弟子の河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)が詠んだ俳句、
   撫子や 海の夜明けの 草の原

 の句の、草の原、なのです。季語は撫子で初夏です。しかし、源氏に結びつけたくて、憂き身世に、の歌にこじ付けたのですが。ちょっと無理があったようですね」
「そうですね。撫子の方なら今の季節に合ってます。それなら伊勢物語の方が合うものがあると思います」
 しまった、次は伊勢物語の名前が出て来てしまった。その言葉を聞いて、そちらにも手を染めなくてはいけないと思った。そんな話をして、一通り風炉の薄茶点前のお稽古を終えた。
 そこで、先ほどの朧月夜の句の話になった。
「先ほどの講師のお話を聞いて、茶道はお点前と和歌を主体にした日本の古典文学が密接に関係していると思います。その割合はフィフティ・フィフティでしょうか」
 と講師のトオルさんに質問した。すると答えは意外にも、
「割合はお点前が三割、古典文学の教養が七割です」
「ええっ、そんなに古典文学が占めるんですか。これまでは源氏物語、古今集、新古今集、万葉集でいいのかと思ってましたが、伊勢物語もですか」
「そうです。ですから、一体どこから手をつけていいのかわからなくなりますよね」
「それくらいに茶道の地平線は広がっていると言うことですね」
 この会話を私のすぐ隣りで綺麗で物静かだけど、時折発せられるツッ込みに辟易とさせられてしまうほど尊敬しているおっしょさんが、静かに聞いていた。
(※この回、続く)

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