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お茶会には古典文学ばかりか清元もあり、みたいな……

「お茶室の雰囲気を和ませる人がいてくれたので助かりました」
 と、60歳台半ばの男性に花月のお稽古帰りのエレベーターの中で言われた。ちょっと喋り過ぎたかもしれない、と反省。
 基本的に、お茶会の席では、
「目の前の物の話をせよ」
 というルールがある。つまり、お茶室の中にあるものを題材にして、話題を広げすぎないのがマナーだと言う訳だ。
 そうなると掛け軸、花、香、その他お道具の銘をキーワードに話題を繋いでいく。そのためには、古典文学や古典芸能などの知識が必要になってくる。
 最近、興味を持って読んでいる本に面白いお茶会の例を見つけた。
「茶道と恋の関係史」(岩井茂樹著 思文閣出版刊)で益田英作の茶会を紹介した一文である。
 ある日、益田は料亭の女将と芸者をお茶会に招いた。床間の掛け軸は恋歌。道具も恋歌にちなんだ銘の道具にした。ここまでなら普通なのだが、さらに一曲、彼の馴染みの芸妓、〆子という方に三味線を持たせて清元の「権八」も披露させたという。まさにお客のために色々と工夫を凝らしたおもてなしで迎えた訳だ。お客に喜んでもらうために、こんなことまでやっていいのかと目から鱗が落ちた気持ちにさせられた。
 知識と、それを活かすために繋げていく発想力が、お茶会に必要なのだなと気付かされた。
 もともと、この本との出会いは、
「三千家では、掛け軸に恋歌は使わない」
 というテーゼに異論を唱えた者がいる、という証を見つけようと読み始めた。するとアンチ・テーゼどころか、さらに広げだ解釈を見せつけられた。
 こうなるとお茶室のお稽古の問答も、ただ単に作者や銘を答えるだけでなく、その背景を語っても良いのだな、さらには清元の「権八」も、と悪巧みを巡らせ始めた。
 今度は、
「カゲロウさん! お客様に、それはどういう事か説明してあげてください」
 と、ツッコミとも命令とも取れる言葉をかけてくるキリッとしたおっしょさんの姿が、今から目に浮かぶ。

追記
 その茶会には、財界のトップの方が複数人参加されていたが、中には益田氏の趣向に付き合いきれないと途中で退席した客もいたことを、記しておく。

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