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「迷宮の入り口に立った」と実感!

 今回の茶道のお稽古は、お客役で「台天目」。亭主役で「棗飾り」。
 お客役で、おっしょさんの脇の座に。緊張のお席である。
「紙小茶巾、持ってますか」
「はい。大丈夫です」
 前回のお稽古で「紙子茶巾は?」とおっしょさんに尋ねられて「今、持って来ます」と自分の荷物のところまで戻った。その時におっしょさんから、
「いつも懐中しておくこと」
 とご指導を受けた。以来、用があろうがなかろうが、古帛紗、紙小茶巾を帛紗や懐紙、黒文字ととも懐に入れているようにした。今日は、それが的中。
 これまで私自身の中で、
『濃茶のお稽古は、まだまだ先の事だろう』
 と思っていたからだ、と気づいた。違っていた。次の目標と感じていた濃茶のお稽古が、すでに始まっているのだと理解した。
 席に着くと、まず、お菓子が運ばれて来た。菓子器は、いままで黒漆の器を使うことがが多かったのだが、この時は焼き物だった。私は待ちきれずにさっそく、おっしょさんに質問した。
「この菓子器は、なんという焼き物ですか」
「これは志野焼です。どうかしましたか?」
「最近、志野焼に興味を持ち初めまして」
「そう。そういうことに興味を持ち始めたのね。でも、一楽二萩三唐津と言われています」
 おっしょさんには、心の中で、
『私は、この正月に東京国立博物館で国宝の志野焼「卯花墻」を見て来ました』
 と答えていた。
 台天目のお稽古も終わりに近づき、亭主の姉弟子が茶器を持って部屋から出て行くとき、他のお弟子さんが、襖の向こう側で控えていることにおっしょさんが気付き、
「本来なら八畳ですけど、今回は四畳半でいいですよ」
 と一言。姉弟子もそれでわかったようで、
「はい」
 と返事をすると、どうもいつもとは違う側の襖をあけて退室したようだった。
 私には何がどうなっているのか、何を意味しているのか理解不能だった。そんな理解不能に陥っている私の心を「察した」のか、おっしょさんが、
「蜻蛉さん。台天目は四祖以前のお点前です。その頃は、四畳半や小間はありませんでした。ですから襖を開ける時は、今開けた側とは反対側の襖を開けるのが本来なんですよ」
「はぁ」
 と曖昧な返事をして、おっしょさんの注釈に答えた。
 以前、「長間堂記 四祖伝書(抄)」(神津朝夫著)を、それとなく読んでいた。だから、おっしょさんがおっしゃった「四祖」とは、そのことだろと推測した。つまり千利休、古田織部、細川三斎、甫公(小堀遠州)の四人。それら「以前の茶道」と言うことだろうから、「侘茶」の以前は豪華な「大名茶」と言うことだと思う。そのころは、狭い茶室は使われていなかったと言うことを示してくだされたのだろう。
 主客変わって私が亭主役の「棗飾り」のお点前となった。
「あれや、これや」
 と相かわらずおっしょさんの厳しい指導は続いた。おかげで、お稽古が終わったとき私の着物の胸元が湿っているのを見て、おっしょさんが、
「蜻蛉さん、それは汗?」
 と、いかに私がヒア汗をかいていたかを見抜かれてしまった。しかし、お稽古が終わったときは晴れ晴れとした気持ちになっていた。
 お稽古を終えて退室するとき、いつもの男性のイケメンの講師の方に、
「茶道は、楽しいですね」
 というと、
「奥が深いですから……」
 の一言と共に、微笑みが返ってきた。それで私は、
「迷宮の入り口に立ったわけですね」
 と私も笑みで答えた。
 イケメン講師の一言は「茶道の楽しさを知ったとき、迷宮の苦悩が始まる」ことを、暗示したのかもしれない。
 最後に、
「御機嫌よう」
 と帰りの戸口で言うと、茶室の中のおっしょさんからも明るく、
「御機嫌よう」
 と声が帰って来た。


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