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人生をしめくくる、ビジョンが必要だ!


 yahooパートナーで知り合った一つ歳上の人と、会話が続いている。なかなか無いことだ。相手はアメリカ留学の経験があり、思考回路のかなりの部分をアメリカでの経験が、人生の判断基準になっているように思える。今は、そんな経験を活かして日本語の教師をしているとのこと。
 アメリカでの経験が、破天荒なものになるのは致し方がない。青春グラフィティーのワン・シーンを見ているようで、贔屓目にみても楽しい。ただ、顔写真が無いのが気がかり。
 いまさら、絶世の美女というのはあり得ないと思うが、自分の見せ方にどれだけ気を配っているかは、その人の周囲への気配り度を判断する基準になる。これは人を知るための要素として、重要だと思う。おしゃれは自分のためばかりでなく、周囲を不快にしない気配りのバロメーターでもある。
 相手は一つ年上か、ともすると同い年。結局、年齢的に落ち着くところに落ち着くのだなと思った。あとは、連れて歩いて恥ずかしく無い程度なら、良しとしたい。自分もそういう風に、相手から見られているだろうから。
 60歳も半ばを過ぎて、相手を探しているというのも、時代の成せる技なのだろう。20年あまり前なら、そんな事は考えずに、死を待つだけだっただろう。

 と言うのも20年も前なら、相手を見つける手段は地域社会の限られた範囲でしかなかったからだと思う。今はネットを使えば、日本全国、強いては世界でリサーチできる。椅子に座ったままで、世界とコミュニケーションが取れてしまう。コレを使わない手は無い、と思える。
 世界を相手にするには、自分自身が中身の濃い人間でないと、受け入れてもらえないだろう。濃くて寛容で、まさにダイバーシティ。
 さて、長くなったが、問題は健康年齢である。頭は認知症やアルツハイマーにならなければ、後20年くらいは大丈夫だろう。しかし、肉体は十年持つか、不安がある。日々の努力はしているのだが。
 今からの人生の時間は「おまけ」か、はたまた「仕上げの時間」か? その定義の仕方次第によっては、アクティブにもなるだろうし、ネガティブにもなるだろう。人生の最後をどう締めくくりたいのか、明確にするか、しないかによって大きな差が出て来ると思う。
 人生を締め括るための、ビジョンが必要だ!

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