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ジャーナリスト、ジョン・ガンサー

 私は、55歳まで週刊誌の取材記者をしておりました。雇用形態は“契約取材記者”です。年間のギャラを決めて契約し、週刊誌の専属ライターとして雇ってもらっていました。その間、山あり谷ありでしたが、週刊誌の記者であることに誇りを持って生きてきました。人生の後半戦に備えて55歳のとき、起業しました。その時、最初に気付かされた、大きなことがあります。

 社会から見れば、マスコミ人は第三者だ、ということです。

“自分はジャーナリストの端くれとして、社会のことは1から10まで何でも知っている”と勘違いをしていたことに、気づかされたのです。企業経営一つをとってみても、全く知らないということを、思い知らされました。   

 アメリカの古いジャーナリストで、ジョン・ガンサー(John Gunther)という人がいました。アメリカの内幕ものを多数書いた人です。彼が言い残した言葉に、こんな言葉があります。

「ジャーナリストは、陰毛に付いたシラミだ」

 と。“快楽”に一番近い場所にいながら、その“快楽”の実態を知らない。まさにその通り。どんなに頑張っても、社会で起きている事象の当事者にはなれない。そのことは、私の人生において大きな誤差をもたらしていました。しかし、それと同時に正反対のことを与えてくれたことも付け加えておきます。それは、どんな苦境からでも生還できるという自信を、私はもらいました。戦場の取材からも、山岳の遭難からも、経営の破綻からも。

 私のこれまでの人生には、楽しいことも苦しいことも、成功も失敗もいっぱいありました。でも、どんな苦境からも蘇らせてくれたのは、“書いて表現すること”でした。書いた物が公になろうが、なるまいが。書けることは、人生を助け、心を豊かにしてくれると実感しています。お金は集まらないかも知れないけど。

 でも老子の格言に「足ることを知る者は、富む」とあります。実感してます。「富む」とは、私の場合は“心が豊かになる”と解釈しています。

 私は、文章を書く技を修得していて、本当に良かったと何度も実感してきました。

創作活動が円滑になるように、取材費をサポートしていただければ、幸いです。